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日置神社
ひおきじんじゃ
滋賀県高島市今津町酒波855
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滋賀県今津町(現高島市)にある。
今津駅の北西5Kmほどの酒波に鎮座。
琵琶湖から、境川を3Kmほど遡った場所。
当社の後方奥は、酒波谷へと続いている。
鳥居の先に、100m以上の参道があるが、
道の様子から想像すると、鳥居よりもっと南から参道は続いている感じ。
地図で見ると、300m以上はあるかもしれない。
当社が、当地にとって重要な神社であったことがうかがえる。
鳥居をくぐり、参道を歩くと、森のように静かな境内。
奥に社殿があり、拝殿の後方には大きな本殿がある。
基本的には流れ造だが、前方の千鳥破風が立派。
創祀年代は、社伝によると人皇天皇十三代、
つまり、成務天皇の御代。
伝説によりと、十一代天皇垂仁天皇の頃、
腹赤ノ池に大蛇がいて、人民を悩ましていた。
そこに、素盞嗚尊と稲田姫尊が出現し、大蛇を退治。
その大蛇の尾から出てきた剣を投げて、留まった里に
成務天皇の頃、武内宿禰によって社殿を創建し、
岩剣の神として祀ったという。
よって、当社は、岩剣大明神、岩剣宮と呼ばれていた神社。
また、明細帳には、祭神に武内宿禰と源頼道公が加わっている。
祭神に関しては異説があり、高魂命とも。
川上荘の総社であり、式内・日置神社の有力論社であるが、
川上の由来に関して。
『日本書紀』垂仁天皇三十九年の条に、
五十瓊敷皇子が、茅渟兔砥川上宮で、剣一千口を作り、
その剣の名が川上部と呼ぶ、とあり
それによるものとの説もある。
当社の南東1Kmの位置に田上森(御旅所)があり、
津野神社と合同の祭典が行われるらしい。
境内には、天満宮・蚕神社・金刀比羅宮・八幡宮などの境内社があるが、
境内の後方に、横向き(東向き)に、独立した形の山神社がある。
社頭 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
本殿 |
天満宮・蚕神社 | 境内後方に山神社 |
境内入口の社号標 | 境内社 | 境内社 |
日置神社
郷社日置神社は川上荘の総社であ
って、祭神は、素戔嗚命、
日置宿禰命・稲田姫命、武甕槌命、大国主命
を合祀しています。元は、酒波岩剣大菩薩といい、徳 川時代(一六〇三〜一六七六年)には日置 山岩剣大明神、または日置山岩剣宮 と言いました。 律令制度が布かれると各地に荘( 庄)が置かれましたが、北組(南深 清水、北深清水、桂、北仰)西組( 酒波、伊井、三谷、平ケ崎)南組( 構、井ノ口、中ノ町、辻、石田、梅 原、岸脇)を合わせて「川上荘」と いいました。毎年四月十八日、川上 祭礼が行なわれます。 −社前案内板− |
【 日置神社 (今津町)(印刷用ページ) 】