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粟野神社
あわのじんじゃ
長野県長野市豊野町石2644  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴



式内社 信濃國水内郡 粟野神社
旧村社

御祭神
天日方奇日方命

豊野町(現長野市)。JR信越本線豊野駅の西1.5Km。
道路脇の畑の向うに大きな扁額を掲げた鳥居がある。
この規模の鳥居にしては、かなり大きい。
階段を上がると境内で、拝殿後方の丘に本殿が鎮座。

神紋は、拝殿に「三つ巴」が付いていたのだが、
『式内社調査報告』記載の写真には「桜」の付いた幕が張られている。
ということで、「桜」に関しては未確認。

創祀年代は不詳。

式内社・粟野神社の論社。
天長二年(825)の再建の古記録があり
すでに、それ以前に存在していたという古社。

祭神・天日方奇日方命は、別名武日方命・櫛御方命・阿田都久志尼命・鴨主命。
事代主神活玉依比売命の御子神とされ、大神朝臣・賀茂朝臣の祖。
神武天皇に仕え、申食国政大夫となって天皇を助けたと云われている。

『式内社調査報告』所載の地図は、違う神社を示している。
当社の東500mにある穂長神社だった。
穂長神社に参拝し「なんか、違うぞ」と思いながら、
雰囲気の良い境内だったので、座ってボーっとしていた。
近所の方が通りがかったので、聞いてみると、やはり違っていた。


社域

社号標

参道階段

鳥居扁額

拝殿

本殿

本殿

 創建年月等は不詳であるが、旧記に散見する処 に拠れば、天長二乙巳年(八二五)二月、当社産子依祈願に当 社再建すると記されているのを見ても、それより以前に創 建されたものであることが窺われる。祭神は天日方奇日方命を奉祀し、貞観二年二月(八六○)神位を賜わる。永観ニ 年(九八四)八月宮殿再建す。永承二年(一○四七)二月、本村 蛇越と言う所山崩して砂石泥土押出し村居亡滅。人民更に 恙なきは、単に此の神威徳なりと古老は申し伝える。応永 二年(一三九五)社殿の再建を行い、永緑年間(一五五八−七 ○)兵火の為に宣旨等廃亡致せし由に付建立された。永禄 災害に罹り石村と更に青野明神と唱来りしを、天明六年 (一七八六)十二月二日神祇管領京都吉田殿より粟野神社奉 称の幣帛奉神の事と成る。弘化四年(一八四七)三月の震災 にあって古碑一基を残すのみであったが、嘉永元年(一八四 八)再び造営す。

−『式内社調査報告』−



【 粟野神社 (長野市豊野町)(印刷用ページ) 】

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