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神田神社
かんだじんじゃ
岐阜県加茂郡東白川村神土604  Zenrin Data Com Maps display !!


五七桐

全国神社名鑑による

式内社 美濃國賀茂郡 神田神社
旧郷社

御祭神
伊邪那岐命 伊邪那美命 大国主命 少彦名命 速玉男命
合祀
猿田比古命 大山祇命 水分命 天照皇大神
菊理比女命 大雀命 火産霊命 誉田別命 須佐之男命

岐阜県の東白川村にある。
高山本線の白川口駅から北東へ17Kmほどの神土に鎮座。
白川に沿って62号線を進み、東白川役場の脇に参道入口。
写真を撮り忘れたが、当社の社号標が立っている。

役場の北側へ上る車道を進むと。カーブのあたりに境内入口の鳥居。
鳥居の後方の斜面が当社の境内だが、車道からは全貌がわかりにくい。

鳥居をくぐり神橋をわたると、左手に手水舎、右手に境内社があり、
参道の階段を上ると砂利の境内。その境内の鳥居をくぐり、
さらに階段を上ると同じように砂利の境内があり、鳥居があって、
左右に社務所や参籠所らしき建物。

拝殿の由緒書きを見ると、再三、社殿を後方に移したようで、
その鳥居の辺りが元の社殿の位置に当るのかもしれない。

その鳥居をくぐった階段の上に拝殿。拝殿の後方、一段高い場所に神明造の本殿がある。

元正天皇養老二年(718)の勧請にして、式内社・神田神社に比定される古社。
『美濃国神名記』に賀茂郡座二十九社のうちの「従五位下 神田明神」とある神社。

『平成祭データ』や『全国神社名鑑』には、
『三代実録』に貞観六年(864)八月十五日、「美濃国神田従五位上」とあると記されているが
『三代実録』の八月十五日の記述は美作国のもので、美濃国との誤解があったのかもしれない。

承平年間以後の変乱により数百年の間に頽廃していたが、
嘉慶二年(1388)、源忠広により白山妙理大権現として再興された。

一説には、もとは旧神田郷の太田、現在の岐阜県美濃加茂市太田あたりに鎮座していたものが、
何らかの理由で、神土の地に遷って来たという説もあるらしい。

明治になって旧社号である神田神社に復され、郷社となった。
また、西洞の白髪神社(猿田比古命)、中谷の中峯神社(大山祇命水分命)、
大口の大岩神社(天照皇大神菊理比女命)、神付の神森神社(大雀命火産霊命)、
中通の八幡神社(誉田別命須佐之男命)が 明治六年に合祀された。

当社の神紋に関して、参拝時には確認できなかったが、
『全国神社名鑑』には「五七桐」と記されているので、
正確な図案は未確認だが、一般的な五七桐紋を載せておく。


社頭

境内入口鳥居

神橋

参道階段

階段上から

境内

境内鳥居

さらに鳥居

拝殿

拝殿

本殿

祖霊社

式内 神田神社社歴
本社の祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、大国 主命、少彦名命、速玉男命を祀り後世には村 内小社の次の神を合祀す。
天照皇大神、菊里比女命、猿田比古命、大山 祇命、水分命、大雀命、火産霊命、誉田別命、 須佐之男命の神である。
本社は元正天皇の御代養老二年今から一二七 二年前に初めて此の地に奉祀をし鎮座給ひ平 安初期延喜年間に式内社として国家への登録 神社となり延喜式神名帳にも載る古社なりと 伝ふ然るに変遷する世世に変乱相続き神社の 頽廃もあり之を憂いて嘉慶二年今から六〇二 年前源忠廣が再興し其の後も享禄二年に安江 清正(源忠廣の後裔)、永禄元年には安江與三衛門 正次、安江新兵衛正吉等が又慶長二年に遠藤 小八郎胤直によって再興される此の年の造営 奉行として神土郷代官大坪新七長吉が当る。
慶應四年三月(九月には明治と改め)神佛混淆が禁止さ れ中世以来の白山妙理大権現と稱した神号を 往古に復し式内神田神社と改稱するを苗木藩 より神祇官に上申聴許を得て苗木藩第五区の 郷社に定めらる。翌四月に神殿の改造、九月 には勅使殿を新築す。此の年の廃藩置県によ り苗木県となり九月二十九日には苗木県知事 遠山友録随員多数を伴ない本社を参拝する。
昭和十五年九月神殿を後方に遷し其の他の施 設の修復工事を行う。昭和二十七年七月一日 より例祭には神社庁長が参向し神社本庁の幣 帛料と共に金幣を奉る神社となる。平成二年 九月には御大典を記念して再度神殿を後方一 段高所に遷し拝殿の増築、神饌所の新建等を 行い奉祀せり。
 平成三年九月吉日

−境内由緒書−



神田神社 由緒掲示
当社は元正天皇養老2年の勧請と言い伝う。延喜式神名帳に賀茂郡神田神社、美濃国神名帳に賀茂従五位下神田明神、又三代実録に貞観6年8月15日美濃国神田従五位上とあるは当神社なりと。然るに、承平年間以後の変乱相続き数百年の間に頽廃して神社も朽失せんとするに至り、嘉慶2年12月源忠広が再興修復し堂宇皆浮居氏風に擬し神号も白山妙大権現と称せり。明治元年神仏の混淆が禁止されて往古に復して式内神田神社と称し、同年11月苗木藩より神祇官に上申す。同3年9月苗木県知事遠山友録ほか随員の参拝あり、以後同庁より祭祀料として毎年米7斗を永世寄進され、知・参事の参拝するを例とす。明治4年苗木県第5区の郷社と定めらる。翌5年苗木県を廃し岐阜県に合併と共に永世寄進は廃絶せられ岐阜県第138区の郷社と定めらる。更に、同6年第16区2小区郷社と定められると共に本殿の改築竣功をみて同年5月11日遷座祭を行ひ村内の小社5社を合祀せり。明治40年3月27日岐阜県告示第80号を以て神饌幣帛料を供進する事を得べき神社に指定せらる。

−『平成祭データ』−



【 神田神社 (東白川村)(印刷用ページ) 】

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