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小野神社
おのじんじゃ
東京都多摩市一ノ宮1−18−8  Zenrin Data Com Maps display !!


十六菊


『神社名鑑』には
三つ巴

式内社 武蔵國多磨郡 小野神社
武蔵國一宮
旧郷社

御祭神
天下春命 瀬織津比咩命 伊弉諾尊
素盞嗚尊 大己貴大神 瓊々杵尊 彦火火出見尊 倉稲魂命

『神名帳考證』
天押帯日子命

東京都多摩市にある。
京王線聖蹟桜ヶ丘駅から北西にあるいて500m程。
多摩川の右岸に鎮座している。

創祀年代は不詳。
一説には安寧天皇十八年の創建と伝えられる古社。
式内社・小野神社の論社の一つ。

多摩川の左岸、府中市にも小野神社があり、
同じく、式内社・小野神社の論社である。
両社とも多摩川に近く、古代において多摩川の氾濫によって、
遷座・分祀された結果、どちらがオリジナルであったか
わからない状態になったのだろう。

当社は、武蔵国の一宮として、「一宮大明神」と呼ばれていた。
が、旧社格は郷社である。どうして府社とならなかったのか不思議だ。

主祭神は現在、天下春命であり、知々夫国造(当地方)の祖神である。
また、一説には、孝昭天皇の皇子・天押帯日子命とされているが、
これは、小野臣の祖神。
つまり、小野神社の社名が、地名由来であるか、氏名由来であるかによって、
その祀る神も違うことになる。

また、上古は、瀬織津姫命一座であったとするものもある。

駅から桜咲く道を、歩くと到着する。
一宮なのだが無人の神社だった。

神紋は、『神社名鑑』には三つ巴とあったが、
社殿や賽銭箱には、菊紋しか見当らなかった。
拝殿内にあるのかと思い、賽銭箱の後ろに回ったところ、
いきなり、警報のベルが鳴り始めた。

かなり、焦った。

それほど大きな音ではなかったが、逃げると怪しまれるので、
誰かが来るのを待っていた。
が、その気配はなく、いつしか、ベルは止まった。

保安上必要なのかもしれないが・・・

境内はかなり広いが、閑散とした印象。
春なのだが、木枯らしを感じるたたずまいだった。
木々の葉が少ないためだろう。

西に正面鳥居があり、隋神門がある。
南にも赤い鳥居と南門があるが、その先には独立の稲荷神社がある。


西正面

南側入口

隋神門

南門

境内

拝殿

本殿

稲荷大神宮

武蔵国一之宮

秋葉大権現

北側に境内社がまとめて祀られている。
伊勢神宮内宮(天照皇大神)、伊勢神宮外宮(豊受大神)、
三嶋神宮(事代主命)、八坂神社(須佐之男命)、
愛宕神社(軻遇突智命)、安津神社(日本足彦國押人命)、
日代神社(大足彦忍代別命)、鹿島神社(武甕槌命)、
子安神社(木花開耶姫命)、厳島神社(市杵嶋姫命)、
方便神社(鹽土老翁命)、堰宮神社(水分神)。


境内社

東京都指定有形文化財(彫刻)
木像随身倚像
所在地 多摩市一ノ宮一丁目18番地8
指 定 昭和五十年二月六日
 小野神社の起こりは古く八世紀中頃と言われ、 中世には武蔵国衙に近在する筆頭の神社、武蔵一宮 であった。
 武蔵一宮小野神社については現存する資料が極め て乏しい中で、昭和四十九年にこの随身倚像に墨書 銘があることが発見された。
 墨書名によれば、この二躯のうち古い方の随身像 は、元応元年(一三一九)因幡法橋応円・権律師丞 源らにより奉納されたもので、その後、寛永五年 (一六一八)に相州鎌倉の仏師大弐宗慶法印によっ て彩色などの補修が行われ、その際新しい方の像が 新調されたことを伝えている。
 どちらも檜材、寄木造。胡粉地に彩色が施され、 頭部は挿首、玉眼。
 都内では、室町時代以前の随身像は数少なく、ま た武蔵一宮小野神社の歴史を伝える数少ない資料の 一つとして貴重な文化財である。

−境内案内−



【 小野神社 (多摩)(印刷用ページ) 】

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