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能登生國玉比古神社
のといくくにたまひこじんじゃ
石川県七尾市所口町ハ48
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式内社 能登國能登郡 能登生國玉比古神社 |
石川県七尾市にある。
七尾駅の南500mほどの所口に鎮座。
境内入口の鳥居の横に、保育園のピンクの建物があり、
一瞬驚くが、見なかったことにして参道を進むと、
小さな石橋の奥に神門、その奥に社殿が見える。
境内は広く、参道も長く、木々の茂っており、
古社の趣がある良い神社なのだが、なぜピンクなのだろう。
神紋の桜を象徴しているわけでもなさそうだが。
社伝によれば、
祭神・大己貴神が出雲国より所口の地に至り、
人々を苦しめていた、湖に棲む毒蛇を退治し、
当地に垂迹した。
よって当社を本宮と称す。
社殿は孝元天皇の御代に創建されたという。
崇神天皇の御代に、当社祭神を分霊し、
羽咋郡に勧請して気多神社を創建された、
よって当社を気多本宮と称するようになったという。
式内社・能登生國玉比古神社の論社の一つ。
社殿には桜の神紋が付けられていた。
気多神社も同じ桜紋を使用している。
境内には幾つかの境内社があるが、詳細は不明。
『平成祭データ』には、末社として
御門神社、稲荷神社、菅原神社、鍛冶祖神社の名が記されている。
境内入口 |
神門と社殿 | 社殿 |
境内 |
石橋と神門 | 神門から社殿 | 拝殿扁額に「氣多本宮」 |
稲荷神社 | その他の境内社 |
延喜式に見られる能登生国玉比古神社といわれ、孝元天皇の創祀という。 崇神天皇が当社の祭神を分霊し、羽咋郡竹津浦に勧請し気多神社とされた故に、当社を気多本宮と称する。 天正年間に前田利家旧社地所口より現在の所口へ遷された。 明治五年三月二十三日県社に列し、同三十九年十二月二十九日神饌幣帛料供進神社に指定された。 大正十二年神門及び拝殿を銅葺とし、昭和四十二年より四十六年に亘り社殿を大修理した。 −『平成祭データ』− |
【 能登生国玉比古神社 能登生國玉比古神社 氣多本宮 気多本宮(印刷用ページ) 】