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景行天皇
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景行天皇
けいこうてんのう

別名
大帯日子淤斯呂和気命:おおたらしひこおしろわけのみこと
大足彦忍代別尊:おおたらしひこおしろわけのみこと
……
  • 第十二代天皇。第十一代・垂仁天皇の第二皇子。母は『古事記』では氷羽州比売命、『日本書紀』では日葉酢媛。

  • 纏向の日代宮にて統治された。

  • 景行天皇の御子が、日本武尊(倭建命)。 日本武尊は、熊襲征伐、出雲建の征伐、東方の夷に対する遠征など多くの物語の主人公。

  • 『古事記』では、景行天皇は、 吉備臣等の祖である若建吉備津日子の娘・針間之伊那毘大郎女を娶って、 櫛角別王、大碓命、小碓命(倭男具那命)、倭根子命、神櫛王の五柱を生んだ。
    また八尺入日命の娘・八尺之入日売命を娶って、 若帯日子命(成務天皇)、五百木之入日子命、押別命、五百木之入日売命を生んだ。
    また、ある妃は、豊戸別王、沼代郎女を生んだ。
    また、別の妃は、沼名木郎女、香余理比売命、若木之入日子王、吉備之兄日子王、高木比売命、弟比売命を生んだ。
    また、日向の美波迦斯毘売を娶って、豊国別王を生んだ。
    また、伊那毘能大郎女の妹・伊那毘能若郎女を娶って、 真若王、日子人之大兄王を生んだ。
    倭建命の曽孫・須売伊呂大中日子王の娘・訶具漏比売を娶って、大枝王を生んだ。
    その他、合計八十柱の皇子皇女を生んだとあり、皇太子は小碓命、若帯日子命、五百木之入日子命。
    一般に小碓命=倭建命とされているが、皇子の倭建命の曽曽孫を妃にするなど、ここでは矛盾がある。

  • 『日本書紀』では、景行天皇は、 播磨稲日大郎姫を皇后として、大碓皇子、小碓尊(日本童男、日本武尊)の双子を生んだ。
    また、八坂入媛を妃として、 稚足彦天皇(成務天皇)、五百城入彦皇子、忍之別皇子、稚倭根子皇子、大酢別皇子、 渟熨斗皇女、渟名城皇女、五百城入姫皇女、麛依姫皇女、五十狭城入彦皇子、 吉備兄彦皇子、高城入姫皇女、弟姫皇女の七男六女を生んだ。
    また、三尾氏磐城別の妹・水歯郎媛は、五百野皇女を生んだ。
    また、五十河媛は、神櫛皇子、稲背入彦皇子を生んだ。
    また、阿倍氏木事の娘・高田媛は、武国凝別皇子を生んだ。
    また、日向髪長大田根は、日向襲津彦皇子を生んだ。
    また、襲武媛は、国乳別皇子、国背別皇子、豊戸別皇子を生んだ。
    その他、合計八十柱の皇子皇女を生んだとあり、皇太子は小碓尊、稚足彦天皇、五百城入彦皇子。

  • 景行天皇自身も、九州親征を行った。
    周防の娑麼(さば)では女酋長の神夏磯媛(かんなつそひめ)が、船の舳に素幡と剣、鏡、瓊をつけた賢木(榊)を立てて天皇軍を迎えたという。 そして媛の願いと協力によって鼻垂、耳垂、麻剥、土折、猪折という賊徒を亡ぼした。
    豊後では、女酋長速津媛の手引で、石室に住む土蜘蛛などを滅ぼし、 熊襲の首長厚鹿文(あつかや)、迮鹿文(せかや)を、その娘の市乾鹿文(いちふかや)、市鹿文(いちかや)姉妹の手引で殺した。
    このように、景行天皇は地方の豪族の女性を味方につけた話が多い。 これは、大碓皇子に女性を盗られて恨んだり、八十柱の子をもうけたことからも女好きだとわかる。

  • 御稜は、山辺の道のほとり(山辺道上陵)。

景行天皇 を祀る神社
(玄松子が参拝した神社のみ)

都波只知上神社鳥取県鳥取市河原町佐貫511
小野神社 境内 日代神社東京都多摩市一ノ宮1−18−8
建部大社 境内 聖宮神社滋賀県大津市神領1−16−1
大縣神社 境内 大国恵比須神社愛知県犬山市宮山3
猿投神社愛知県豊田市猿投町大城5
三峯神社埼玉県秩父市三峰298−1
倉賀野神社群馬県高崎市倉賀野町1263

【 景行天皇:玄松子の祭神記 】

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