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勅祭社 ・ 准勅祭社 |
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勅使が参向して祭祀が執行される
神社のことで、正式には勅使参向の
神社という。勅祭に預かる神社は古
くからあり、二十二社などがその代
表であるが、近代になってからの正
式な勅祭社は、明治元年(一八六
八)十月に勅祭の神社と決定された
氷川神社である。このほかにも、明
治初期には旧二十二社を中心とした
官幣社や、準勅祭社と呼ばれた日枝
神社などいわゆる東京十二社も勅祭
社とみなせるが、現在のいわゆる勅
祭社とは関係がない。現在に至る勅
祭社が正式に治定されたのは、明治
十六年に賀茂祭および石清水祭が勅
祭と定められた賀茂御祖神社、賀
茂別雷神社および石清水(男山)八
幡宮が最初で、そのうち春日神社、
氷川神社、熱田神宮、橿原神宮、出
雲大社、明治神宮、朝鮮神宮、靖国
神社、宇佐神宮、香椎宮、鹿島神
宮、香取神宮、平安神宮、近江神宮
が勅祭社となっている。現在の勅祭
社は消滅した朝鮮神宮を除く前記の
十六社であるが、このうち宇佐神宮
と香椎宮は十年ごと、鹿島神宮、香
取神宮は六年ごとに勅使が差遣さ
れ、また靖国神社には春秋二度の大
祭に勅使が差遣されている。
−『神道事典』−
天皇の思召により、特に勅使を差遣して、
祭祀・奉幣をせしめられることを勅祭、これを受ける神社を勅祭社とい
う。
平安末期以来の二十二社のごときがこれである。
明治以後について見ると、明治元年に氷川神社を親祭して、自後これを勅祭社とせられ、
同三年二十九社奉幣ということ、準勅祭社(東京とその附近の十二社、日枝・
根津・芝神明・神田・白山・亀戸・品川貴船・富岡八幡・王子・赤坂氷川・
六所・鷲宮)を制せられたが、これらは新時代の勅祭社である
(但し、後の
二者は制度的に一時のことに終わった)。そのうち明治十六年賀茂上下社が
勅祭社とされ、自来漸くその数を増し、何れもその例祭に当って、勅使
を派遣して奉幣せしめられるに至った。その諸社とは、賀茂別雷神社・
賀茂御祖神社・石清水八幡宮・春日神社・氷川神社・熱田神宮・出雲
大社・橿原神宮・明治神宮・朝鮮神宮・鹿島神宮・香取神宮・近江神宮
・平安神宮(何れも官幣大社)および靖国神社(別格官幣社)の十五社で
あり、又宇佐神宮・香椎宮(何れも官幣大社)へは、毎十年、吉日を選定
し、勅使を派遣して臨時奉幣せしめられる。終戦後、朝鮮神宮のなくな
ったことはいうまでもないが、その他の十六社に対する勅祭のことは、
制度的意義の変更は別として、今日も依然つづけられている。
−『神社辞典』−
准勅祭社中の東京10社に関する資料 (東京都神社史料 第五輯 より)
1.品川神社第十三代神主小泉勝麿(小泉帯刀 明治三年没)が、明治元年より三年までの
諸通達・取調書・意見具申書を編纂したもの「御新政後記録」
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2.「神祇官判事上申書 弁事宛」十一月四日(公文録)
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出典:神社辞典
【 勅祭社・准勅祭社 】