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熊野トライアングル
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熊野三山の配置について。

 熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社を総称して、熊野三山と呼ぶ。この三社の配置について、ちょっと考えてみる。

 熊野を訪れて確信するのは、熊野三山は水に関わる神々であるということだ。  熊野本宮は、現在丘の上にあるが、従来は川の中州にあり、 今でも大斎原として聖地である。中州にあることにより、当社への参拝は自動的に川を渡ることになり、強制的に禊をさせられる。 これは、天皇であろうと変わらない。

 熊野速玉大社は河口部、港にある。当社の神事には「神輿渡御式・御船祭」というものがあり、1800年以上の歴史があるらしい。

 熊野那智大社は、高さ133m、幅13mの那智の滝が信仰の根本であることは言うまでもない。

 川、滝、港という水に関わる3つの立地を総称した熊野三山は、水の在り方、形態の3つの側面を表しているものだろう。そしてそれは、 罪穢れを祓う場であるのかもしれない。

 ここで、中洲にある熊野本宮大社の場所が少し、気にかかる。紀伊半島は雨量の多い地域であり、 台風被害も多いはずだ。その紀伊半島にあって、中洲に社殿を築くには、大きなリスクを伴うことになる。 それを敢えて行い続け、社殿流出した現在でも聖地として大鳥居を立てるのは何故だろう。

 「そこ」でなければならない理由は何か。そんなことをフト考えた。で、次の図を見てみよう。熊野三山の配置図だ。


熊野本宮大社 熊野本宮旧社地大斎原 熊野速玉大社 熊野那智大社

 きれいな二等辺三角形を構成しているのがわかる。正確に測量したわけではないし、 社地の移動もあっただろうが、それにしても綺麗な配置と見るべきだろう。

 ここからは、ややこじつけになるのだが。この紀ノ国の大三角形の構図は、木気の三合、あるいは卯の三合と考えることもできる。
 木は亥に生じ、卯に旺んに、未に死す。季節でいえば、木気は旧十月(亥)に生まれ、旧三月(卯)に盛んとなり、旧八月に終焉する。


 方位で見ると、熊野本宮のある方向(亥)で生まれ、熊野速玉のある方向(卯)で盛んとなり、熊野那智のある方向(未)で死んでいく、となる。那智には補陀落渡海で有名な補陀落山寺がある。

 水流を基本とし、罪穢れを浄化するとともに、冥界への循環を図る構図が隠されているのではないだろうか。などと、思うのだが。


なお、加門七海の『大江戸魔方陣―徳川三百年を護った風水の謎』に、東京二十三内の熊野神社二十一社が綺麗な三角形に並んでおり呪術的城壁ではないかと記されている。


【 熊野トライアングル:玄松子の雑記帳 】

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