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海神社
かいじんじゃ
長崎県壱岐市石田町筒城西触323  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 壹岐嶋石田郡 海神社 大
旧無格社

御祭神
豊玉彦命

長崎県の壱岐、石田町にある。
壱岐空港の北西、筒城西触の山中。

『式内社調査報告』に記されている場所より、もう少し奥。
『式内社調査報告』は、たまに、こうした印刷ミスがある。
学校の北にある道を東に進み、分かれ道を北へ。
道路からは、参道も鳥居も見えないが、下り坂の
途中に小さな燈籠があるので、その奥が参道になっている。

学校の横で、道を尋ねたおばさんがスクーターで先導してくれたのだ。
一人では、辿り着けなかったかもしれない。

参道までの道は暗く湿った感じだが、参道は意外と明るい。
その奥の林の中のような境内に社殿がある。
本殿は、拝殿後方に附属した形態。

創祀年代は不詳。

当社は、延宝四年(1676)の橘三喜の式内社査定によって、
式内社・海神社に比定された神社で、それ以前の由緒等は不明。
「カミジヤマ」という山名を「海神山」と合点した結果らしい。
現在は、当社の東、海辺にある白沙八幡宮が、有力だ。

白沙八幡宮は、藩主・領民の崇敬が篤く、壱岐七社参拝の一社。
社域の広さも各段に違う。
ちなみに、
壱岐七社とは、白沙八幡興神社住吉神社本宮八幡箱崎八幡国片主神社聖母宮

神社としての規模や格では、白沙八幡宮の方が立派で、
式内社には相応しいのだが、
当社のように、「奥にある」雰囲気が、なんとなく惹かれるんだが。


参道入口

参道

鳥居

境内

鳥居扁額

本殿

境内社

海神社
 当社は式内大、壱岐二十四座の一なり。
 創立年代詳かならざるも此祭神、神功皇后西戒征伐の 御時功をなし給うたので此島に祀られたのであろうと。 文徳天皇仁寿元年辛未春正月庚子詔して正六位上に叙し 給う。清和天皇貞観元年正月二十七日従五位下海神に従 五位上を授け給う。三代実録、陽成天皇元慶元年丁酉九 月二十五日癸亥中臣忌部両氏を遣し幣を班給う。大嘗会 供奉に依りてなり。朱雀天皇天慶三年庚子神位一階を進 めらる。崇徳天皇永治元年辛酉秋七月同じく一階を、高 倉天皇治承四年庚子冬十月、後鳥羽天皇文治元年乙巳三 月三日平家追討の御祈りにて同じく一階を進めらる。
 『壱岐国続風土記』に、「当社は嵯峨天皇弘仁二年辛卯 冬十月朔平旦、直に日輪の神勅を受けて神代の霊璽を写 し奉り真の神体に象り渡し奉る云々」とあり。
 『壱岐名勝図誌』に「海神社在海神川上一名戀川とも、 石祠末向延宝年中源鎮信朝臣奉絹也(中略)当社は神明式 に所載の石田郡海神社大なりとせり。(故考に西の流川を 里俗あまうづといい天水雨水などの字をあてたれども海水の義 なるぺし海ノ神社によれる名ならん)」とあり。
 『壱岐国神社考』に「此地大社の建し所とも見えねば今 の宗社八幡宮是則式の海神社なるべし云々」とあり。

−『石田町史』−



【 海神社 (壱岐) 】

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