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識名宮
しきなぐう
沖縄県那覇市繁多川  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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旧無格社
琉球八社

御祭神
伊弉册尊 速玉男命 事解男命
午ぬふぁ神 識名権現(女神)

沖縄県那覇市にある。
首里城の南西1Kmの繁多川に鎮座。
識名霊園の近くで、那覇の中心部から識名霊園へ向う道路の北に
南向きの鳥居が立つ。
少し上り坂になっている途中にあり駐車場が無かったので、
100m東にあるコンビニで買い物兼駐車。

鳥居をくぐり参道を少し歩くと、石垣に囲まれた境内がある。
境内の中の芝生が青い。
正面に拝殿があり、拝殿の向拝部分に鬼の面が付いていた。
まさしく鬼瓦。山梨では良く見かけたが、珍しい。

拝殿後方には赤い本殿がある。

琉球八社の一つ。
琉球八社とは、明治以前琉球国府から特別の扱いを受けた八つの官社で、
波上宮沖宮識名宮普天満宮末吉宮八幡宮天久宮金武宮のこと。

往昔は、普天間宮や金武宮同様、洞窟の中に祀られていたが、
洞窟が朽ちたので、洞外に社殿を築き祀ったもの。

社伝によると、識名村に夜な夜な、光り輝くことがあり、
「大あむしられ」が調査したところ、
洞内に賓頭蘆が一体安置されていたという。
尚元王(一五五六〜七二)の長子尚康伯の病気回復に霊験があったので、
識名宮が創建された。

「賓頭蘆」とは「賓頭盧」(びんずる)のことだろう。
びんずるは、十六羅漢の第一の聖僧のことだが、
一般には禿頭の人、あるいは、なでぼとけのこと。

祭神は、琉球に広まっていた熊野権現だが、
他に、午ぬふぁ神と識名権現を祀る。
多分、こちらが本来の神だと思われるが詳細は不明。

で、その洞窟は何処にあったのだろうか。
資料の記述によると、本殿の周囲に入口があるような雰囲気。
参拝時には、洞窟の話を知らなかったので、
詳しく調べていないのが残念。
思い返してみると、本殿後方に注連縄が設置されていたような。
ひょっとするとそこに入口があったのかもしれない。
いずれにしろ、現在は入れないようだが。
ちゃんと下調べしておけばよかったと、またもや後悔。

で、調べてみたらやはり社殿の裏に入口があるらしい。
でも、入れないらしい。


鳥居

参道

拝殿

境内

狛犬

狛犬

本殿

拝殿正面の鬼瓦の部分

識名宮
那覇市繁多川鎮座、祭神、伊弉冊尊速玉男命事解男命、午ぬふぁ神、識名権現(女神)、例大祭、九月十五日

由緒

 社号は「琉球神道記」には「尸棄那権現」「由来記」には「姑射山権現」と記されている。 尚、前者には「縁起亦明カナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されている。 「遺老説伝」によれば、識名村に夜々光輝することがあり、大あむしられが検分をしたところ、 洞内に賓頭蘆が一体安置されていたといい、彼女が尊信すると感があった。尚元王(一五五六〜七二) の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を建て、大あむしられに看守させたという。 社殿はもと洞内にあったが湿気がひどく腐朽し、康煕十九年(一六八0)に洞外に移築して、瓦葺とした。 毎年一・五・九月の吉日に国王の行幸があった。現在の社殿は、大戦後、建立したもので、戦前の建物は、 三間社流造り、本瓦葺き、桁行三・七m、梁間二・四mの建築で、沖宮本殿に類似していたといわれるが、 残念ながら、戦災で焼失した。戦後、昭和四十三年十二月復興した。

−『平成祭データ』−



【 識名宮 (那覇市) 】

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