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與止日女神社
よどひめじんじゃ
佐賀県佐賀市大和町大字川上1  Zenrin Data Com Maps display !!


鍋島杏葉

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式内社 肥前國佐嘉郡 與止日女神社
肥前国一宮
旧県社

御祭神
與止日女命 または 豊玉姫命

豫等比咩神 『三代実録』
淀姫命 『特撰神名牒』
與止比女神 『明治神社誌料』
世田姫 『肥前国風土記』
豊姫(ユタヒメ) 『神名帳頭註』

上記の祭神名は、みな同じ神の別名と考えられている。

佐賀県の大和町にある。
JR佐賀駅から263号線を真直ぐに北上すると、
長崎自動車道を越えたあたりから、嘉瀬川沿いになる。
その嘉瀬川の西岸に南面して鎮座している。

嘉瀬川のほとりに鎮座

嘉瀬川は、川上川とも呼ばれ、肥前国風土記では佐嘉川。
当社の側を流れる流域は聖地とされ、殺生禁断であった。
特に、ナマズは祭神の使いとして、土地の人は食べないそうだ。

肥前国風土記に、以下の記述がある。
「此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。
海の神鰐魚を謂ふ年常に、流れに逆ひて潜り上り、
此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従ふ。
或は、人、其の魚を畏めば殃なく、
或は、人、捕り食へば死ぬることあり。
凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。」
この魚がナマズと考えられているようだ。

川上川の上流には、淀姫淵・明神淵・弁財淵など、
古代祭祀遺跡らしき場所が多く存在する。

昔は大陸に近い田島神社の方が盛大で、
大社であったが、当社が、国府にも近く、
肥前国一宮となった。

川のほとりにある、姫神のお宮で、
しかも肥前国一宮であるということで、
もっと華美な神社を想像していたのだが、
そのような雰囲気ではない。
開放的で明るく、境内にベンチでもあれば、
ゆっくりと時の流れを感じながら、
川面を見つめていたい。そんな感じ。

鳥居をくぐると、駐車場と公園があり、その奥に境内がある。
参道には立派な大楠が聳え、境内にも緑が多い。

境内右手(川側)に、「金精さん」が置かれ、
社殿後方には、以下のような石祠の境内社が並んでいる。
若宮社(仁徳天皇)、百代宮(豊玉姫命和魂神)、代永宮(同荒魂神)、
香椎宮、竃門宮、寶満宮、王子宮、淀姫社、住吉社、志賀宮、
加茂宮、春日宮、稲荷宮、阿蘇宮、山王宮、乙宮社、高良宮。

嘉應二年(一一七〇)の記録には、境内に本殿が記されていない。
本来は、川そのもの、あるいは、淵を拝する、
自然崇拝の神社だったという説がある。


手水

鳥居

大楠

参道

境内

社殿

拝殿

本殿

社殿背後の境内社

金精石

與止日女神社略記
一、鎮座地佐賀郡大和町大字川上一番地
一、御祭神與止日女命神功皇后の御妹)、また豊玉姫命(竜宮城の乙姫様)とも伝えられている。
一、御神徳海の神、川の神、水の神として信仰され、農業をはじめ諸産業、厄除開運、交通安全の守護神
一、由緒欽明天皇二十五年(五六四)創祀され、延喜式内社で、のち肥前国一の宮と崇められ、弘長元年(一二六一)正一位を授けられた。
朝廷の御崇敬あり、また、鎌倉幕府をはじめ武門、領主、藩主の尊信を受けた。
明治四年県社に列す。
一、祭日春祭 四月十八日
秋祭 十月十日
新嘗祭 十二月十八日


河上神社金精さん由来記
自然石又はこれに人工を施した男根、女陰の 形をしたもので男性、女性の象徴を神として祭 ったのが古い昔から日本の特に僻地山村に多 く見られるようである。金精さまは本来性の 神で、それが生産神となり所によっては邪悪 の神を塞ぐ塞神としても祭られた。形からみて 初め、庶民の縁結びの神、性病平癒祈願の神、 子宝の神として信仰があった。
その昔神功皇后三韓征駐の折り当地におとど まりんあされし妹君の与止日女様が子宝に恵ま れぬためにひそかに館の一隅にあった男根の 自然石に肌をふれて子宝を願ったところ、色 あくまで白く、きめこまやかにして玉の如き 子供が授かったという。以来金精さんとして 河上神社の一隅に安置してありましたが今度 皆様の要望により一般に公開致します。

−境内案内−



【 与止日女神社 與止日女神社 河上神社 】

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