[HOME] > [神社記憶] > [北陸地方] > |
|
巖谷門神社
いわやどじんじゃ
富山県小矢部市矢波602−1
|
||
北陸本線の石動駅の北西、道なりに4.5Kmほどの矢坂に鎮座。
32号線を北上し、74号線に入って西へ。
74号線から324号線へ入って岩屋堂川沿いの道をさらに西へ。
しばらく寂しい道を進むと、道路の右手(北側)に鳥居がある。
境内は矢部山の南東麓の丘の上。
西へ2、3Kmほど行くと石川県になる。
鳥居の脇には、自然石の上に社号標。
鳥居をくぐり、参道階段を登ると社殿のある境内。
社殿は瓦葺入母屋造で、トタンの雪囲いが付いている。
参拝は10月の午後。というか夕方近く。
社号の「巖谷門」から、もっと岩岩した神社を想像していたが、
階段を上がると、木々に囲まれた丘の上の境内は暗くて静か。
逆光のせいで黒い社殿のシルエットと、苔むした参道。
人里離れたという雰囲気のある神社。
創祀年代は不詳。
式内社・荊波神社の論社の一つ。
鎮座地名の矢波が荊波、矢波からの変化ということだろうか。
『式内社調査報告』によると、当社はもと白山社といい菊理姫命を祭神とする。
『富山県神社誌』には、日山社と記されているが、これはたぶん誤字。
正徳二年の『書上申帳』には白山権現と記されている。
天照皇大神は、矢波村光徳寺鎮座の無格社神明社の祭神。
火産靈神は、矢波村吉原鎮座の無格社火産靈の祭神。
ともに維持困難のため明治四十一年、白山社に合祀し
同時に白山社を巖谷門神社と改称した。
社殿の屋根に梅鉢紋が付けられている。
前田家の加護があったのだろうか。
当社の神紋かどうかは確認できなかったが載せておく。
社頭 |
鳥居と社号標 | 参道階段 |
社殿 | 社殿 |
境内 |
当社の前を少し西へ行くと「弁慶岩」という大きな岩がある。
弁慶の足跡と云われる窪みのある岩で、岩の前に案内板がある。
富山県には弁慶にまつわる岩や石が多い。
日枝神社には弁慶が転がした弁慶石があり、
脇子八幡宮にも弁慶の足跡の残る石がある。
弁慶岩 | 案内板 |
窪みのある弁慶岩 |
弁慶岩(べんけいいわ)
この岩は、縦7.8m、幅5.6mあり、「弁慶岩」と呼ばれています。岩の表面に大きな人の足跡のような窪みがあります。 これは源義経主従が兄頼朝の追手を逃れて東北へ下る途中、 ここを通った弁慶の足跡だと伝えられています。 260年前の文書「邑(村)長書上帳」に、 この岩の名が記されているところから「切籠石」と呼んだり、 升形に見えることから「升形石」とも呼ばれています。 動きなき 岩根の松も さくら木も すゑ幾千代乃 春やちぎらん −案内板− |