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久氐比古神社
くてひこじんじゃ
石川県鹿島郡中能登町久江ヘ66  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に鱗

式内社 能登國能登郡 久氐比古神社
旧県社

御祭神
久延毘古神 天目一箇神 火産霊神

能登半島・中能登町にある。
能登部駅の南東2Kmの久江に鎮座。
159号線と平行に走る道路から、久江川に沿って200mほど入ると、
道路左手に境内入口が見える。

参拝当日は小雨の休日。
社前の道路が狭かったので、少し戻って小学校の近くに車を停めて、
歩いて境内に向う。

緩やかな階段を上り、鳥居をくぐると、
境内の奥にガラス貼りの社殿が見える。
境内には木々も多く、草も多いが、
参道の中央は整備されて良い雰囲気。
木々の種類が分からないが、秋には美しい境内になりそうだ。

創始年代は不詳。

社名の「氐」は、氏に下線。
「弖」とも書き、「て」と読む。

近世には、「剣明神」と呼ばれており、
当時の祭神は、天目一箇神
相殿に、現在の主祭神・久延毘古神を祀る。

延喜式に、「久氐比古神社」と記載されているが
鎮座地が、久江であるところから、
本来は、「久延比古神社」(くえひこじんじゃ)だったようだ。
久延毘古神は、古事記によると天下のことを知り尽くした智恵の神で、
案山子のこと。
智恵の神であるとともに、穀物を護る神でもある。

ただし、石動山が近く、久江は「崩へ」とも解釈できるため、
一説には、当社祭神は、地滑りの神。大地の力を象徴する神であるとする。

『神社名鑑』には神紋は記されていないが、
境内の灯篭に、鱗紋が刻印されていた。
他にも輪宝紋も見られたので、鱗紋が正式な神紋かどうかは不明。

参拝時には境内社が見当たらなかったが、
案内によると、貴船・櫛・諏訪の三社が
社務所内に祀られているらしい。


参道鳥居

鳥居

境内

拝殿

本殿

久氐比古神社由緒書
祭神久延毘古神
天目一箇神
火産霊神
 久延毘古神は 古事記に 「この神は山田の 曽當騰(案山子)のこと 足は歩かねど居ながら にして天下のことを知れる神なり」と書かれて あり 博識の神で田や山を司る神なり
 天目一箇神は 古典に 「天岩戸に隠られた 天照大神をお迎えする祭祀に献奉りし 鏡の 元鉄を鋳造し 自も刀斧鉄鐸を作り献奉りし」 と書かれてあり 鉄の器具を造り司る神なり  往古当社が剣神社 剣明神を崇拝されたのは この御祭神の御神徳灼なればなり
 火産霊神は 軻遇突智命とも称え火を掌り 護り給う神で この神の恩頼に依り火の禍を 避け火を防ぎ鎮めんと祀りし神なり
 久延毘古神 天目一箇神は 最初に久江に 定着した住民の五穀豊穣祈願神として祀られ 久氐比古神社と称した 千百弐拾年前作製 された延喜式に「小社に列し祈年の国幣に預る」 と記される古社である 火産霊神は時の推移 と共に住民の過半数の守護神として祀られ 愛宕神社と称し 江戸末期に久氐比古神社に 移転合祀す 明治三十一年県社に列し 当時 久江に在りし 貴船 諏訪 櫛の三社を境内社 とし現在は社務所内に奉斎す 昭和初期まで 続けた春祭の神賑行事の「オケラ餅の神事」は 醍醐天皇朝規の遺格を 現今に伝えるものと 盛大に執行された

−境内石碑板−


久弖比古神社の由緒
 延喜式内の旧社で創立の年代は不詳であるが、天平宝字六年大旱の際、神徳効応せしより御田大神とも称えられ、毎年四月十一日、十二日執行の「オケラ餅神事」は近郷の住民集合、五穀豊年祈願の神賑行事盛大に、醍醐天皇朝規の遺格今に存せりと言う。
 明治三十一年郷社より県社に列する。

−『平成祭データ』−



【 久て比古神社 久氐比古神社 久弖比古神社 (中能登町) 】

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