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神田神社
かんだじんじゃ
石川県白山市吉田町8  Zenrin Data Com Maps display !!


梅鉢

式内社 加賀國石川郡 神田神社
旧郷社

御祭神
饒速日命
配祀
天兒屋根命 武甕槌命 經津主神
合祀
應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 比賣神

石川県白山市にある。
北陸本線松任駅の南6Kmほどの吉田町に鎮座。

公民館の近く、道路脇に東向きの境内がある。
参拝は午後だったため、逆光で眩しい境内だ。

鳥居をくぐり、参道を歩くと正面に社殿。
北陸特有のガラス張りだ。

『式内社調査報告』に掲載されている境内写真では
鬱蒼とした森のはずだが、かなりあっさりとしていた。
冬のせいか、整備されたのか。

社伝によると、景行天皇の御代、
武内宿禰による北陸視察のおりに、
北陸守護のため、饒速日命を勧請したのが創祀。
地名を神田村と命名しましたという。

主祭神は、饒速日命。
明治までは、配祀の春日四神を主神とし、
饒速日命は相殿に祀られていた。
よって、近世には春日明神と呼ばれていた神社。

式内社・神田神社の論社の一つである。

境内の左手に、武内宿禰を祀る高良社があり、
東側奥に、武内宿禰の手植えと言われる欅の古株がある。

社殿の屋根や、境内の神馬像には梅鉢の紋。
前田家より知行を得たらしいから、
その家紋を使用しているのだろうか。


社頭

境内

境内社・高良社

社殿

武内宿禰手植えの欅

神田神社祀記
御祭神饒速日命 天兒屋根命 武甕槌命
経津主神 八幡大神
末社高良社の御祭神 武内宿禰命

 当社は 第十二代景行天皇の御代 武内宿禰が北陸 及び東方諸国の風土監察の爲下向のおり 北陸守護の 爲吉ヶ中と称する地に饒速日命を勧請し 其の際地名 を神田村と命名しました 延喜式(九〇五〜九二七)に加 賀国石川郡神田神社とあるのは 当神社であり 延喜 式内社 神田神社の正社であります
 長文元年大和国より岡本壮之進が神主として赴任  近郷八十三ヶ村の神社に奉仕しており 前田利家公よ り知行二百石を拝領しておりました
この岡本家の書によれば
 仁明天皇の承和七年(八四一年)勅使下向
 文徳天皇の天安元年(八五七年)〃
 醍醐天皇の延喜五年(九〇五年)藤原忠平下向し神田神社と命名
      延長五年(九二七年)本殿建立
 後朱雀天皇の長暦三年(一〇三九年)勅使下向
 後小松天皇の嘉慶三年(一三八九年)
藤原元隆勅使として 参向し 圭田六千二束之宅田を奉納し 加賀の国の守 護職交代の都度先例により石川郡の総社となることを 仰せ渡された とあります
 明治三十一年郷社に列せられる
 明治三十九年神饌幣帛料供進社に指定される
 明治四十一年一月十一日 神田村の東方にありまし た無格社八幡社を当神社に合祀する 境内地は常緑の 密林が神域をおおっており 特に南隅には欅の巨幹が あり 一つは目廻一丈九尺 一つは目廻二丈四尺 幹 は空洞をなして優に六、七人中に入って座ることがで きるほどです この木は武内宿禰の手植といい伝へが あり 鳥居木とよばれ樹令千数百年と言われています

−境内石碑−



【 神田神社 (白山市) 】

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