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物忌奈命神社
ものいみなのみことじんじゃ
東京都神津島村1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 伊豆國賀茂郡 物忌奈命神社 名神大
旧府社

御祭神
物忌奈命

東京から180Km南にある神津島にある。
島の西側にある(前浜)神津島港のすぐ近く。
船客待合所付近から東を見ると、小高い丘の上に鳥居が見える。


船客待合所から鳥居が見える

前浜に水配りモニュメントという彫刻がある。
神々が水の配分を行っている光景。
モニュメントの写真は撮らなかったが、
当島・神津島が神集島と呼ばれる理由の神話が記されていたので転記。


伝説・水配神話とモニュメント
『その昔、伊豆諸島の中心である神津 島の天上山に、島々の神々が集まり会 議をしました。一番大切な会議は、生 命の源である「水」をどのように分配す るかでしたが、言い分がさまざまで、 なかなかまとまりません。そこで次の 日の朝、先着順に分けることになりま した。いよいよ朝になり、一番早く着 いたのは御蔵島の神様でした。御蔵島 は最も多くの配分を受け、次は新島、三 番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目 は大島でした。こうして水は次々と配 られ、最後に利島の神様がやってきた ときには水はほとんど残っていません でした。それを見た利島の神様は怒り、 わずかに残った水に飛び込んで暴れま わりました。この水が四方八方に飛び 散り、神津島ではいたるところで水が湧 き出るようになったと言われています。』
 この神話は、神津島(神集島)の島名 を由来すると共に、生命源である「水 の配分」を通して、「地域づくりの道し るべ」を暗示するものと考えます。
 このモニュメントが、未来に向けた 島づくりの象徴となることを祈念する ものである。

坂道(あるいは階段)を登ると、参道入口の鳥居が建っている。
鳥居をくぐり参道階段を登ると、もう一つの鳥居。
こちらの鳥居は金属っぽい感じ。
鳥居の右脇に小さな鳥居があり、石祠が祀られている。

参道を進むと、曲がりくねった枝を持つ木のアーチ。
ちょっと南国っぽい雰囲気の中を進むと、神門がある。

神門をくぐると砂の境内。
参道正面に社殿があり、左手に手水舎。
社殿は瓦葺の拝殿と、後方に同じく瓦葺の本殿。
境内の案内板(昭和45年の説明文)によると
当社本殿は覆堂形式で、覆殿の中に中宮があるという。
で、その中宮の高さが五メートルとあるが、
目の前にある社殿の中に五メートルの中宮があるのだろうか?

ただし、この説明文は昭和45年のもの。
昭和63年の『東京都神社名鑑』には
木造入母屋造の本殿とのみ記されているし、
2000年7月の地震と台風で社殿は倒壊し、
本殿は、2006年4月に再建されたらしいので、
この社殿は覆殿では無いかもしれない。

ちなみに、長浜にある阿波命神社も倒壊した。
阿波命神社境内は東京都指定文化財なので東京都が再建したが
当社の再建では地元の方々が多くを出費したらしい。

通称は明神様。
創祀年代は不詳。

祭神は、物忌奈命。
言い伝えでは、三島大神(事代主命)の嫡子で神津島の開祖、
長浜・阿波命神社に祀られている阿波咩命は母神。

『続日本後紀』によると、
神津島は、上津島と呼ばれ、
承和五年七月五日、大噴火があった島。

噴火による造島の霊験により
直後の承和七年(840)無位から従五位下を贈られ、
嘉祥三年(850)従五位上、
仁寿二年(852)正五位下に進められた古社。

噴火によって祀られた『物忌』は東北にもあり、
鳥海山の大物忌神社が有名。
噴火という神威に触れ、物忌を行って神を鎮めるということだろう。
当社の特殊神事にも、二十五日神事と言うものがあり、
旧正月二十四日から三日間、神を向かえ、神を送り終えるまで
島民は物忌を行うという。

また、島の方の話では、
物忌奈命には弟神が存在し、
次男は多幸湾・日向神社に祀られている日向神。
三子は多幸湾沖の祇苗島(通称蛇島)の祠に祀られていたらしい。

『三宅記』によると
阿波咩命には二王子あり
「たゝない王子」が物忌奈命、「たふたい王子」が日向神。

拝殿の左手や、本殿の右手に境内社の祠が並んでいる。
社名を確認したものは、恩馳神社、唯根島神社、
三島神社、春日神社、新宮神社。
『式内社調査報告』には、境内社として
三島、八幡、春日、新宮、天満宮、津島、阿波島、唯根島が記されている。

社殿に右手には御輿庫、その横に薬師を祀った薬王堂がある。


境内入口

鳥居と階段

階段上の鳥居

鳥居脇に石祠

参道

神門

境内

拝殿左手の境内社

拝殿

社殿

本殿

本殿

本殿右手の境内社

御輿庫と薬王堂

村重宝(建造物) 物忌奈命神社
所在神津島村一番地
指定昭和四十五年一月十日
 祭神物忌奈命は三島明神事代主命の嫡子で永浜神 社に祀る阿波咩命は御母である。天孫瓊瓊杵尊に出 雲国を譲り、事代主命と共に東に下り、伊豆諸島の開 祖として居を定められ、以来村民の心の支えとなっ てきた。
 本殿は覆堂形式で中宮を内臓している。中宮は元 本殿として文化七年(一八一〇)に造営され、高さ 五メートル余、入母屋造りの大建築で、棟から向拝 にかけて美しく流れる曲線は、重厚な唐破風となっ て拝者を威圧する。御神体を内蔵する宮殿として尊 厳性を備え、格調が高い。
 各種の組物は功を尽し、殊に舞鶴の彫刻と唐破風 の檜皮葺は妙技を極わめ、堂宮建築の技法が優れ貴 重なものである。覆殿と拝殿もこれに準じて古く、 重要な文化財である。

−境内案内板−



物忌奈命神社
今按續日本後紀承和七年九月乙末伊豆ノ国言ス賀茂ノ郡有造作島本名上津島。此島坐阿波神ハ是三島大社本后也。又坐物忌奈命即前社御子神とあるを思うに物忌奈命は三島大社の本后にます阿波咩命の御子神とみえたり。 式社考證に古き上梁文に長濱大明神輿奉申御神者當鎮守神集島定大明神御母神也とあるにも明かなるを思うべし。

−『平成祭データ』−


神津島の東側にある多幸湾に、物忌奈命の弟神が祀られている。
神津島から東京へはジェット船を利用したが
ジェット船の出港地が多幸湾だったので
船待ちの時間に参拝した。

場所は、多幸湾船待合所の近く。  Zenrin Data Com Maps display !!

『三宅記』に「たふたい王子」と記された神。
日向神社と呼ばれ、祭神は日向神だと思うのだが
『平成祭データ』には「とうなべのおうじ」と記されている。

キャンプ場へ続く道から外れ、
山道の参道を少し登ると鳥居。
参道を進むと境内がある。


日向神社参道

鳥居

参道

境内

本殿

日向大明神
創立年代は不詳であるが、続日本後紀には集録されざるも、三島大社の本后阿波咩命に二王子あり。 御兄命は長じて物忌奈命として此地へ奉斎されしこと伊豆七島誌に見えたり。村社。

−『平成祭データ』−


宿泊していたホテルのチェックアウトは午前10時だったので
10時前にチェックアウトし、村営バスで多幸湾へ。
多幸湾に到着したのは10時頃。
日向神社参拝を終えたのが10時半頃。
で、東京行きジェット船は14時20分の出発なので
待ち時間が4時間もある。
しかも、船待合所は出港の一時間前にしか開放されない。
多幸湾は何も無い港で、しばらく周囲を歩いたが
すぐに、することが無くなった。
iPodで音楽を聴きながら、波を眺めてウトウトと
「なんにもしない時間」を過ごす。

ようやく待合所が開き、一時間後にジェット船の出港。
ジェット船から、物忌奈命のもう一人の弟神が祀られていたという
祇苗島(蛇島)が見えたので撮影。  Zenrin Data Com Maps display !!


祇苗島(蛇島)


【 物忌奈命神社 (神津島) 】

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