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進雄神社
すさのおじんじゃ
群馬県高崎市柴崎町801  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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旧郷社

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御祭神
速須佐之男命 配祀 稻田比賣命

合祀二十四神
櫛御氣野命 宇迦野御魂神 保食命 軻遇突知命
菅原道眞公 建御名方命 市杵嶋姫命 木花開夜姫命
誉田別命 経津主命 伊邪那美命 豊宇氣姫命
大物主命 火産靈神 積羽八重言代主命 高龗神
上津綿津見神 八衢比古神 八衢毘賣神 大日孁命
埴山毘賣神 大山祇神 大己貴命 大國主命

群馬県高崎市にある。
高崎駅の東3.5Kmほどの柴崎町に鎮座。
354線(高崎第二バイパス)から少し南に入った場所に広い境内がある。

境内入口は南向き。正確には西南向き。
愛知の津島社からの勧請ということで、本社の方向を向いているのかと、
日本地図で調べてみたが、津島市は西南西方向だった。残念。

道路に面して大きな赤い鳥居が立っており、鳥居をくぐり参道を進む。
参道の左手は大きな駐車場になっており、百台以上は停められそうだ。
その参道を進むと、社殿のある境内入口に木製の鳥居と
「郷社 進雄神社」と刻まれた社号標が立っている。

参道を進むと右手に手水舎があり、左手に御神木。
池にかかる橋を渡ると、広くて綺麗な境内がある。

境内右手に神楽殿があり、左手には社務所。
境内奥(北側)に社殿がある。
拝殿は銅板葺入母屋造。後方の本殿は流造。

『全国神社名鑑』に載っている写真では瓦葺の社殿だったが、
境内隅の石碑によると、平成四年に鎮座1020年を記念して
社殿を造営し境内の整備が行われたとある。

社伝によると、平安時代諸国に病気が万延した時、
清和天皇の勅命により国家安泰・病気平癒を祈願して、
貞観十一年(869)、尾張国・津島神社を勧請したのが当社の起源。

天喜五年(1059)、源頼義公奥州征討の時、
当社に戦勝祈願し、凱旋のおりに社殿を修造し社領を寄進したという。

戦国時代以降、武田・上杉・北条の各武将をはじめ、
箕輪城主・高崎藩主等、深く当社を崇敬し神領を寄進。
寛永十一年(1634)徳川家光公より朱印地三十石が寄進された。

明治維新後、それまでの社号「牛頭天王宮」を「進雄神社」と改称。
昭和六年、郷社に列した。

ところで、津島神社からの勧請なのに、なぜ津島神社とせずに、
全国的にも珍しい進雄神社という社号にしたのだろうか。
津島神社のある愛知県でも「進雄」という社号は数社しか存在していない。

参道脇の池の中に祠があり、社殿の右手には稲荷社が祀られている。
境内右手奥の林の中には、石祠が十数個並んでいるが詳細はわからない。

当社の神紋は三つ巴。
昔の写真の社殿や赤い大鳥居には普通の三つ巴紋が見られるが
現在、境内で多く目にするのは尾が長く流れている図案だ。


社頭、大鳥居

参道

境内入口

境内

社殿

拝殿扁額と神紋

社殿

拝殿

本殿

稲荷社

神楽殿

御神木

池の祠

天王宮 進雄神社
御祭神
速須佐之男命・稲田姫命・外二十四神
由緒
平安時代諸国に病気万延の時、清和天皇の勅命により国家安泰・病気平癒を祈願して、貞観十一年(西暦八六九年)、尾州・津島神社を勧請したのを始めと伝え、以来、天喜五年(一〇五九年)、源頼義公奥州征討の時、当社を崇敬せられ武運長久を祈誓し、凱陣にあたり、社殿を修造し社領を寄進したと伝えている。戦国時代にあっては武田・上杉・北条の各武将をはじめ、箕輪城主・高崎藩主等に深く崇敬され、神領を寄進し、奉幣の儀を行うことが度々であった。寛永十一年(一六三四年)徳川家光公より朱印地三十石が寄進され、以来幕末まで続いていた。明治維新からはそれまでの社号「天王宮」を「進雄神社」と改称し、神名帳四位下に列せられ、郷社に列せられた。現在では、初詣・七五三・例大祭をはじめ日々多くの人々が参拝しています。
御神徳
家内安全・厄よけ除災・無病息災・病気平癒・子孫繁栄・交通安全・安産・子育・家運隆盛・商売繁盛・学業成就
年間祭事
一月(初詣−新年特別祈祷、金運向上御福銭進呈) 四月九日(春季例大祭−太々神楽、稚児まいり−健育・勧学、植木市、縁起市) 七月二十九日(祇園祭・夏越の大はらい−茅の輪くぐり神事、人形のはらい) 十月九日(秋季例大祭−太々神楽・縁起市) 十一月(七五三−成長感謝・健育祈祷) 毎日斎行(祈願・祈祷−初宮まいり・新車交通安全・厄よけ除災・病気平癒・安産子育・商売繁盛・学業成就)
八雲たつ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣造る その八重垣を・・・・この歌は速須佐之男命が出雲の国、須賀の宮で稲田姫命を妻に迎えた時にうたった歌でわが国最初の歌として伝わっております。速須佐之男命は、伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓いをしたときに、天照大御神・月読命と共に生まれた神様で、八またのおろちを退治し、稲田姫の災いを助けたことはよく知られており以後、稲田姫とのあいだに宇迦之御魂(稲荷神)・大穴牟遅神(大国主神)などの神々を子孫として、古来より多くの人々に崇敬されております。また備後国風土記には、旅の途中・蘇民将来に一夜の宿を借り、大変親切にもてなされたお礼に「以後病気あれば蘇民将来の子孫と言い、茅の輪を腰につけよ、そうすれば家人達は、病気にかからずに健康ですごすことができる」と教え、諸人に無病息災に御神徳高い神として広く厚い崇敬を集めております。当社を崇敬・参拝の皆様には、神々様の御加護を受けられ諸々の災い無く、日々健康で、いや益々に御繁栄なさいますよう祈念申し上げます。

−『平成祭データ』−



【 進雄神社 (高崎市) 】

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