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2000年12月
履歴
ありがとうございました。
スセリ
玄松子さん
今年は本当にいろいろとお世話になりまして、ありがとうございました。
たくさん助けていただいて〜♪
感謝しています。
☆来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えくださいませ〜。
ではでは。
2000/12/31/03:27
おめでとう
泊瀬女
神奈備さんのところの泊瀬女です。500社達成おめでとうございます。神奈備以外の掲示板にはおじゃましないつもりでしたが、一言おめでとうを申し上げます。来年も何かとご教示ください。来る年もきっと良い年となることでしょう。
2000/12/28/10:27
500、そして世紀末
玄松子
年末準備のため、更新しないつもりだったが、キリの良いところで、21世紀を迎えたかったので、無理をして三社掲載。
(たぶん)、今世紀最後の更新だ。
本年中は、皆様には、大変お世話になりました。
では、良いお年を。
2000/12/27/22:21
クリスマスケーキの事など
玄松子
帰宅途中、駅前の店で「クリスマスケーキ半額」の文字。
そういえば、最近ケーキ食べてない。
残り物なので、サイズが一つしかなく、一人では大きすぎるケーキを持って帰宅。
4分の1で、飽きた。
トップページの御神籤は、不評らしい。
自分で見ても、吉だ凶だと、うっとぉしい。
ということで、リンクのページにひそかに遷座。
久しぶりの地元福岡の式内社を掲載。
年内に500を目標にしていたが、年末年始の準備があるので、無理だな。
2000/12/25/22:05
山歩き
玄松子
日曜日、近くの低山山頂にある神社へ参拝。
ここへは、何度か行っているのだが、麓の下宮からの道がわからず、その度に断念していた。
今回は、歩ける道はすべて歩くつもりでトライ。
山頂近くまで歩き、行き止まりで麓へ戻ることを2度繰り返し、やっと山頂へ。
295mの低い山だが、倍以上登った感じだ。
境内の石段に座り、汗を拭き、景観を楽しむ。
苦労した参拝は、思い出深いものになる。
2000/12/25/09:11
一宮
後白河院
今般『中世諸国一宮制の基礎的研究』によって、一つの謎が解けました。阿波一宮は大麻比古神社(鳴門市、札所1番の裏手)ですが、四国八十八ヶ所の一宮(札所13番)は、現在の徳島市一宮町にあります。しかるに、この本によれば、阿波の一宮は大粟神社であり、現・一宮神社と、上一宮大粟神社がこれに当たり、南北朝期に一宮の地位が交替したとあり、長年の謎が解けました。
2000/12/05/20:38
玄松子
『中世諸国一宮制の基礎的研究』手に入ったので、読んで見ました。
惣社や国分寺、二宮・三宮まで詳述されており、なかなか面白い資料でした。ご紹介ありがとうございます。
そこで、気になるのが、一宮町周辺は、中世の豪族「一宮氏」の領地であったということです。
この「一宮氏」の氏族名が、一宮の社家であったから一宮なのか。
一宮氏の氏神を祀る、あるいは一宮氏の私的神社だから一宮神社と呼ばれたのか。
歴史に詳しくないので、断言できませんが、一宮氏の登場と一宮制度の確立では、一宮氏の登場の方が早いのではないかと思うのですが、どうでしょう。
2000/12/23/21:36
後白河院
一宮という地名は、いろいろなところにありますが、多くは国一宮に由来するので、大粟神社が、初期には阿波国一宮社(格)だったのではないでしょうか。地域の一宮というのもありますが(「一宮神社」とか「一宮大明神」などはみんなそう)、「大粟」という名称から考えるならば、古事記なども考え合わせると、非常に重要な神社だったのではないでしょうか。新居浜の一宮神社が、大山祇神社を領主が勧請した存在であるように、徳島の一宮神社も、領主の守護社だったのでしょう。しかしながら、大麻比古神社の勧請とは考えにくく、大粟神社もしくは天石門別八倉比売神社との繋がりが深いと考える方が自然のような気がします。
2001/01/06/12:43
後白河院
それから、札所一番が霊山寺に定められたのは、大麻比古神社を尊重したものと思われますので、88ヶ所制定時期は、両社の拮抗時だったのかもしれません。
2001/01/06/12:56
玄松子
「一宮氏」はどうなったんでしょう。
2001/01/07/12:21
田島神社は良い!
しゃこ
お久しぶりです。相変わらず猛烈な勢いで
神社が増えていますね。私も見習わねば。
久しぶりにのぞいたにもかかわらず、最新の
更新が私も訪れたことがある田島神社ということで
なにか儲かったような気分です。
自分が九州に行ったときの事を思い出してしまいました。
名護屋城跡も見たかったなー。
九州はまだまだ見たいところがいっぱいあるので
もう一度いってみたいと思っております。
ではまた。
2000/12/23/09:25
玄松子
お久しぶりです。
実は、諏訪へ行く前に、しゃこさんのページ拝見していました。万治の石仏もそこで知って、「行ってみよう」と決めました。
>自分が九州に行ったときの事を思い出してしまいました。
これ、大変うれしい言葉です。
サイトの趣旨は「記憶」「思い出」ですから、神社を通して、その土地土地の思い出をよびおこせたら、と思います。
2000/12/23/10:06
おみくじ
玄松子
おみくじの本を読んだ。「元三大師みくじ」などというものをはじめて知った。
面白かったので、トップページに、そのおみくじを付けてみた。
1番から100番までの内容が決定している。
大吉17% 小吉4% 吉35% 半吉5% 末吉6% 末小吉3% 凶30%
大凶を入れようかとも思ったが、古来に忠実に。
2000/12/21/21:37
神奈備
6%の末吉でした・・・・
2000/12/22/22:04
神奈備
次は大吉でした。
2000/12/22/22:13
玄松子
当初、クッキーを利用して、「一日一回だけ」に設定していたんですが、クッキーを嫌がる方も居るようですし、トップページでいきなりクッキーを残すのもどうかなぁ、と思ったので、毎回実行して変化するようにしました。
使い方1:最初にトップページに来た時に見たものを「その日」のモノとする。
使い方2:更新記録など、どこかのページへ行き、心に念じて、「Home」ボタンを押して、トップページに戻り、占う。
など、どうでしょうか。
でも、「元三大師みくじ」って凶が30%もあるんですよね。下から2番目の末小吉の方が希少価値があって、大吉よりありがたい感じですよね。
ということで、「大大吉」と「大凶」を一つずつ入れて見ました。
それぞれ、0.98% です。
2000/12/22/22:47
中国民話
玄松子
中国民話などを読み返している。初見の時と違う感動がある。諏訪神社の甲賀三郎とまったく同じモチーフの話もあって、なかなか興味深い。日本固有の神話は少ないのではないかと思い始めている。
過去に掲載したページや一覧表のページなど、密かに手直しをしているのだが、ぜんぜんはかどらない。新規掲載予定も溜まる一方なのに、また、旅の計画を立てている。
2000/12/20/23:14
神奈備
出雲国意宇郡の式内社の意多伎神社拝見いたしました。五十猛命が祭神としている文献もあるんですね。また同社坐御譯神社の祭神が大田命が五十猛命ではないかとの説があることがわかりました。謝。
大田と五十猛命とを結びつけるものとして二つ(元は一つか?)思いつきます。
1.五十猛命は木種を持って新羅に天降ったのですが、今の慶州とすれば大田(テジョン)と言う都市があります。
2.和歌山の大田については日前国懸神宮の目先ですが、伊太祁曽神社がここに鎮座していた伝承から「大田命」と呼ばれたとしても不思議ではありませんね。
意多伎神社は加藤義成校注『出雲国風土記』(松江今井書店)によると島根県松江市中原町54の阿羅波比神社[あらわい]の境外社である愛宕神社「加具土命」としています。
意多伎神社はオタキですね。イタキならここもとなりますね。
2000/12/17/18:17
玄松子
そうでした「五十猛」でしたね。
式内社調査報告の記事を追加しておきました。延喜式の写本によっては、意多伎をイタキと訓ませているものや。風土記でも意陀底としているものもあるようです。
>加藤義成校注『出雲国風土記』(松江今井書店)
これには、解釈の説明などあるのでしょうか。
今度、さがして見ましょう。
2000/12/17/21:54
玄松子
手持ちの「風土記」(小学館)にも、松江市外中原の神社になっていました。詳しい解説はありませんが。出雲風土記研究では、それが通例なのかもしれませんね。式内リストに追加しておきましょう。
2000/12/17/22:13
神奈備
加藤義成校注『出雲国風土記』には若干の注釈がある程度です。
2000/12/18/20:57
玄松子
大三元さんのページに出雲風土記記載神社の一覧が載っていますね。
Link
ここには延喜式での標記と現在地も載っているんですが、
玄松子の記憶の式内一覧と微妙に違う箇所があるようです。
出典は岩波の風土記のようなので、今日、書店に行きましたが品切れでした。
近いうちに図書館でコピーとってきましょう。
風土記記載の神社一覧も、なかなか味がありますね。
手に入ったら、載せてみましょう。
2000/12/19/00:00
クリスマス
玄松子
「神社系サイトでクリスマスは無いだろう」と思ったが、お約束なので、表紙を替えた。期間限定、今週だけ、さりげなく、地味にクリスマス。
イメージは雪山にダビデの星。最初、六芒星を描いてみたがイマイチだったので、普通の星。
2000/12/17/23:37
初詣
後白河院
巳年なので大神神社にしようかと。工事中らしいが。
清原も来るのかな?
2000/12/17/21:18
小雨
玄松子
週末になると雨が降るようなそんな感じ。
近くにある低山山頂の神社をまた延期。
仕方がないので、二社掲載。阿禮神社の前宮と奥宮。
昨夜、熊野大社の写真を整理し、追加掲載。
2月3日に掲載した時と、今とでは、選択する基準が微妙に違うことに気づいた。他の神社も見直してみようかなぁ。
2000/12/17/13:24
500は、いつ
玄松子
多岐神社を掲載。越後の神社だ。
周囲の景観や、その日の天気などは覚えているのだが、神社そのものに関して、あまり印象に残っていない。半年経過しているせいかなぁ。
ところで、487社。あと13社で500社になる。年内に達成するかも。
2000/12/15/21:59
諏訪
玄松子
今回はそまさんの投稿により、諏訪の神について、再考することができました。
タケミナカタの后、ヤサカトメは安曇系だとする説があります。侵入してきた男神が土地の女神と結婚し支配権を得るというのは、ニニギやニギハヤヒなどにも見られます。もともと安曇系の支配した地に出雲系が侵入したのかもしれません。
安曇は九州の民ですから、これも侵入して来た神です。もともと、諏訪には山や湖などの自然崇拝の人々が居り、そこへ安曇系が侵入し、さらに出雲系が侵入する。山で切り出された御柱が、御船に付き添われて、境内に立てられる行程は、その支配の移り変わりを再認識させる儀式だったのかもしれません。支配権を示す御柱が、聖火リレーのように運ばれるのではないだろうか。
さらに、その変遷のどこかに、御左口神などの不思議な神々が重層的に折り重なった状態。それが、現在の諏訪信仰なのかもしれません。
あるいは、まったく違う可能性もありますよね。学者じゃないので、「違うこと」を恐れず、自由な発想・空想をめぐらす事も神社巡りの面白さです。
2000/12/15/19:23
御柱祭りと杣人
そま
*玄松子さん、みなさんこんばんわ。(^^)
諏訪大社のページ、興味深く拝見しました。
>御柱祭
季刊「自然と文化」誌(観光資源保護財団刊)33号「柱とダイナミズム」を読むと、御柱祭りの神様は元々は日本神話の神様というより杣人たちの山の神様だったのではないかと思えます。境外社では東俣の御林入口に斧立社(ヨキタテシャ。ヨキは、山仕事の道具。)が祀られていますし、お祭りでは木遣り歌が歌われますよね、まるで山仕事の「伐り」(木材伐採)や「出し」(木材搬出)をお祭りにしたみたいだ、と思いました。
>柱状のものに神が依りつくという信仰は各地にある。一本ならわかるが、四本というのは不思議だ。
諸説あるようですが、これも杣人の信仰として考えてみました。
斧立 (ヨキタテ)社がある事からしますと、御柱が4本なのは斧の一種「ヨキ」の刃についている4本線の印と同義と考えられないでしょうか。この4本線の印は、地・水火・風の4つの気を表すので「ヨキ」といいます。 もしかしたら4大元素を表す柱に山の神様を依りつかせて神格化させるのかもしれませんね。
ヨキの画像が以下のページにあります。
Link
*ちなみに杣人がヨキを山に置いて帰ってくる時、4本線の印の方を地面に向けて置くそうです。4大元素を地面に向けて、伐った木を再生するという意味があるのですって。
*上記の本の中の御柱祭りについての部分が御参考になるかもしれませんので、あとでスキャンしてお送りしますね。
ではまた。( ^_^)/~~~
2000/12/13/17:22
そま
>地・水火・風
あらら、・が抜けてしまいました。(^^;)
ホントは「地・水・火・風」です。
2000/12/13/17:26
玄松子
巨大なファイル、確かに受け取りました。なかなか面白く読めました。
この中で気になる記述があります。御柱を切り出し、境内に迎える際、2度にわたって、山の神を送り返すという点です。諏訪大社が山の神を祀る信仰を原点とするなら、なぜ、せっかく、御柱についている神を送り返すのでしょうねぇ。
>地・水・火・風の4つの気を表すので「ヨキ」といいます。
これも、面白いですね。職人や特殊な分野の人たちが使う道具を示す「言葉」は、なかなか聞く事ができません。貴重な情報ですね。ネットで調べてみたら、裏には3本線があり、「ミキ」と呼ばれるそうですね。御神酒の意味があるとありました。
思うに(ここからは勝手な空想)、斧立社は、御柱を切り出すことを山の神に奉告し、許可を得るものではないでしょうか。
また、四大元素(ヨキ:地・水・火・風)は木々の生育に必要なエネルギー(火は日光)ですね。木を切り取った後に、ヨキを奉げることにより木々の再生を祈願したものかもしれません。ミキ(御神酒)を奉げるのも祈願であり、贖罪であるような印象ですが、どうでしょう。
今日(予定では明日だった)、御座石社のページを掲載しました。こちらの祭神は女神であり、御柱は立てず、曳いてきた柱で鳥居を造ります。鳥居は明らかに、境界の象徴ですよね。御柱が結界を示す例ではないかと思いました。
それから、四本の御柱は、先端を三角に尖らせて立てられます。槍や銛を連想させます。あるがままの自然ではなく、意図的に加工が加えられている感じです。しかも武器としての加工。山の神を何度も追い返すことに通じないでしょうか。
(勝手な空想終わり)
ページを作っている時は、色々な資料をみて、空想するのですが、一度掲載した神社のページに関して考えることは少ないのです。今回は、思いがけず、興味深いきっかけをいただきました。ありがとうございます。
2000/12/13/21:53
そま
☆jpg、無事届いてよかったです。(^-^)私も以下、空想してみました。(^o^)/
>なぜ、せっかく、御柱についている神を送り返すのでしょうねぇ。
山の神様(神道の神様というよりは土地神様なのでしょう)が人里にいては困る、という感覚が、山に住む人にはあると思います。山の神様には山にいて、山を守っていてほしいのでしょう。2回送り返すのはもしかしたら柱にする木の中の神様(男女一対の神様・屋船命《ヤブネノミコト≫)を、一体ずつ山に送り返すからかな、とも思いました。
☆ミキ・斧立社
>御柱を切り出すことを山の神に奉告し、許可を得るものではないでしょうか。
斧立社の役割、お送りしたjpgの文からして、そのようですね。いまだに山仕事の人達は、現場に山の神様への榊と御神酒を捧げます。山には様々な禁忌がありますし、杣人にとって、山の神は大きな存在です。
☆木々の再生祈願
>ミキ(御神酒)を奉げるのも祈願であり、贖罪であるような印象ですが、どうでしょう。
山ではどの生き物も他の生命の上になりたっている、という実感が濃いのだと思います。だから搾取しっぱなしにならないように、というバランス感覚が働くのでしょう。生命再生を祈るのは、古人の知恵だと思います。
☆御座石社
>鳥居は明らかに、境界の象徴ですよね。御柱が結界を示す例ではないかと思いました。
柱そのものが神格化するというよりは、柱は神様がくっついてくる媒体であって、その神様がもう里に入らないように、御柱を槍のようにとがらせて結界を作っているのかもしれませんね。
>今回は、思いがけず、興味深いきっかけをいただきました。ありがとうございます。
いえいえ、こちらこそです。しかし御柱の由緒についてはナゾな部分が多く、私もいろいろ空想しています。でも想像力を働かせる事って、とても大事な事ですよね。
2000/12/14/20:51
玄松子
昨日、二社掲載したので、今日は更新なし。ということで、
>柱にする木の中の神様(男女一対の神様・屋船命《ヤブネノミコト≫)
特定のもの(三輪山)などを除いて、一般の「山の神」って女神だと思ってました。
>その神様がもう里に入らないように、御柱を槍のようにとがらせて結界を作っているのかもしれませんね。
すると、神社に神は居ないことになりませんか。
信仰の対象は、山の神に邪魔されないように、降臨する神となりますか。
木落としで怪我人が出ないと、駄目だというのを昔聞いた事があります。七十五頭の鹿や蛙などの贄を必要とする、怖い神ですね。
それが、御左口神(ミジャグジカミ)なのかもしれません。
熊野では、「山の神」をどのように祀っているんでしょう。本宮大社は山の神じゃなかったですよね。
2000/12/14/21:10
そま
☆素早いレス、ありがとうございます。(^o^)私もおやすみ前に、もう1回カキコさせていただきます。
>一般の「山の神」って女神だと思ってました。
熊野では山の神は女神です。屋船命は男女一対で、山の神としては珍しいのでは?
> すると、神社に神は居ないことになりませんか。
そうですね。諏訪大社は今は神道の神社ですが、山の神信仰を元祖と考えたら、元々は山が本殿、お社は拝殿だった、とも考えられるのではないでしょうか。(三輪山がそうですよね。)
> 贄を必要とする、怖い神ですね。
> それが、御左口神(ミジャグジカミ)なのかもしれません。
怖いですねえ。(^^;)人工的に生け贄を出す事によって、山での事故を最小限に食い止められると考えていたのでしょうか。
☆熊野の山の神
> 熊野では、「山の神」をどのように祀っているんでしょう。本宮大社は山の神じゃなか
> ったですよね。
先日聞いたのですが、本宮大社側には大社は元々「船玉大明神」(船を伐り出す木材のとれる場所に神様を祀った)といわれていた、という見解があるようです。玄松子さんがおっしゃるように、旧社は川に囲まれていますし、水神さんなのかもしれません。
熊野では山の入り口に神を祀り、11月7日の山の神の日には、山の神様が山の木の数を数えるので人が山に入ったら木と間違えて数えこまれてしまうのでいけない、といいます。(その日は山仕事はお休みです。)その11月7日には、山の女神様に木で作った男根(ケズリバナ)やお供物を捧げて祀ります。普段でも信心深い人は毎日洗米や魚を供えているといいます。普段のお供えは、地区によって違うようですが大きな木の根元(または石)に「山の神」と書いて、そこに供えたりします。
諏訪では、どんな祀り方をしているのでしょうね。
2000/12/14/23:55
玄松子
>屋船命は男女一対で、山の神としては珍しいのでは?
屋船の神「屋船久々能知・屋船豊受姫」は、確かに男女なのですが、棟上式や竣工式などで工事の安全を祈願してまつられる神ですね。
久々能知は木の神ですから、山に無関係ではないかもしれませんが、屋船久々能知となると「山の神」としての性格は薄いように思います。
式年造営の無事を祈願する意味合いでまつられるのではないでしょうか。
2000/12/15/14:01
そま
すみません、前述の文、一部訂正します。(^^;)
「船を伐り出す木材」→「造船の為に伐り出す木材」
「木で作った男根(ケズリバナ)」→「木でで作った男根とケズリバナ(一緒のものとする説もあるようですが、ケズリバナは元来木の御幣のようなもの。)」
☆以下の、諏訪の清陵高校のページに御柱祭の由来について記載がありました。 御柱祭は現在 は、式年造営の無事を祈願するお祭りのようですね。でも由来は紀記以前からのようですし、 諏訪神社には本殿がない事といい、やはり元々は古代の山の神信仰だったのかな、って思いました。
Link
2000/12/15/18:35
年末年始
玄松子
今年の年末年始の休暇は、年末が短く、年始が長い。
昨年は、年末が長かったので、九州南部をドライブしながら神社巡りをしたのだが、今年の年末はどうしよう、と考えていたら、山口県防府に一泊3000円のホテルがあった。新しくてサービスも良いらしい。ネット予約の特典らしく、二泊しても6000円。高速で2時間ほどの場所。ということで、年末は山口県だ。
年始は人で混むので、どうしよう。有名神社でなければ大丈夫だと思う。そういえば、四国の神社、未掲載だなぁ。
2000/12/13/23:01
NetScape6
玄松子
NetScape6をダウンロードして見た。
自分のページを見て驚いた。
以前のNetScapeでは、IEと同じように見えるように、色々と苦心したんだが、今度はかなり違う。
機能が追加されるのは良いが、どうして、以前と同じ記述で、違う表示になるんだ!!
かなりムカツキながら、修正した。させられた。
NetScape対応、もう止めようかと、思うぞ!!
2000/12/11/01:22
玄松子
むかついたので、アンインストールした。
ところが、本体だけ消えて、各ファイルとの関連付けなど残ったまま。
JPGファイルをクリックしても、「ファイルが見つかりません」だ。
NetScape本体がないので、開けられない。
逐一、関連付けを元に戻す作業をした。
まったく、信じられん。
2000/12/12/09:21
神奈備
神社知識に『神社排詞』を掲載。
拝ですね。チョットビックリ
2000/12/10/10:24
玄松子
本宮を掲載したついでに、直しました。
どうして、Windowsのかな漢字変換は、ちゃんと学習しないのでしょうかねぇ。
入力した覚えのない漢字が先に出てきますよね。ムカツク。
使い方が悪いんだろうか。
2000/12/10/12:47
こいっち
しばらく御無沙汰してました。
メールで問い合わせ戴いた神社拝詞を早速も掲載ですね。末尾にボクからのメールよりって書いてあったので、ちょっとビックリ!
他の祓詞・大祓詞のとこでもそうだけど、祝詞の宣命体を打ち込むのって、けっこう手間かかりますよねー ほんとにお疲れ様です。
2000/12/10/15:36
玄松子
本日は、山の上にある神社に行く予定だったんですが、起きたら雨でした。
仕方がないので、諏訪大社上社本宮のページを作成。
資料が同じなので、秋宮・春宮も作成。掲載は明日の予定です。
> 祝詞の宣命体を打ち込むのって、けっこう手間かかりますよねー
手間かかりますねぇ。後の確認が、また大変ですよね。
神職の試験には「祝詞作文」というのがありますが、これで作文するのかと思うと、ヒェーって感じですね。
2000/12/10/16:15
こいっち
メールの文字化け失礼しました。
改めて新規入荷分を発送しておきましたよ。
祝詞作文は、いわゆる慣用句(常磐に堅磐に・子孫の八十続に至る迄・朝日の豊逆登にetc...)の意味からはじまって、記紀や延喜式祝詞、万葉集の伝承や修飾語までもやらないとイケマセンからなあー 大変ですよ。
2000/12/11/00:32
阿刀神社
後白河院
祠でした。入り口の石碑が新しいので分る人には分ります。
2000/12/08/23:11
玄松子
??
今年の夏に、「阿刀神社」探したんですが見つかりませんでした。
この話、どこかに書きましたかねぇ。
覚えてないんですが、不思議ですね。
2000/12/10/16:21
後白河院
そうでしたか。丸太町通沿いで、嵯峨南野郵便局の向かい側です。鳥居は建物の裏にあるので、石標しか入り口にはありません。
2000/12/10/18:34
日前神国懸神
神奈備
天武天皇が病没前に奉幣した神社が飛鳥四社住吉国懸とあります。紀氏の祖とされる天道根命に奉幣するとは思えません・・・
日前神は日神ですから天照御魂神とか火明命とか饒速日命の可能性が考えられますが、名草の辺りには物部のにおいがあまりしないのです。
2000/12/06/20:32
玄松子
鏡作坐天照御魂神社の鏡も試作品であり、火明命を祀るものでしたね。饒速日命の可能性はあると思います。
天武天皇と紀氏との関係は知らないのですが、公式には國懸大神ですから、問題ないのではないでしょうか。境内には天道根命を祭神とする摂社があったようですから。
ただ、こういうことを「断定・特定」することは好みません。
「そういう考えもあるのだよ」程度ですね。
2000/12/06/21:17
玄松子
追加です。
この饒速日命との関係については、式内社調査報告に紹介されていたのですが、あまり詳しく書かれているわけではありません。
田中卓氏の『日本國家成立の研究』にその記述があるようです。
2000/12/06/21:20
後白河院
準皇祖神(日前神=ヤタ鏡)となるのは7世紀後半らしいです。大和朝廷のの関係強化ということでというのが有力。ただ、個人的には根拠に乏しいような気がします。農耕神「名草上下溝口神」が前身で、上下神が両神化したという説があるようです。
2000/12/07/06:09
神奈備
日前国懸神宮は分かりにくい神社です。この社には農耕や水にかかわる祭りが多いとの事です。
そうですね。伝教大師(最澄)は日前國懸神宮を名草上下溝口神と呼んだと伝わっています。名草平野に豊饒をもたらした宮井川の出口に近いことが反映しているのかもしれません。
国懸宮の御神体は日矛鏡と言われます。天日槍かも。とにかく日前国懸神宮は謎が多い神社らしい神社です。
2000/12/07/22:08
玄松子
そうですねぇ。
書によっても色々と説があり、困りましたね。
少し加筆しておきましたが、気が向いたら、
また、見直してみましょう。
2000/12/07/23:31
後白河院
元は伊太祁曽神社が鎮座していたというのも思わせぶりだし。
2000/12/08/23:14
21世紀の夜明けは
玄松子
ひそかに、アイコンを八卦に戻した。
やはり、「絵」は、この大きさだと醜い。
トップページの背景も変えてみた。
新しく来たPCに付属のツールを使って遊んでいたら、こんなのが出来たのだ。
21世紀の夜明けは近い。そんな意味。
2000/12/07/23:38
久美浜にはいってないの(泣)
如月華月
後白河院様
今回、私が行ったのは久美浜のほうではなく、
天橋立の近辺にある、元伊勢籠神宮〜間人の竹野、奈具、深田部神社、大江の元伊勢三社に
鬼嶽稲荷、丹後半島〜大江にかけてですね。
久美浜・・・温泉あるし、かにおいしそーだし
行きたい場所ではあります。
ちなみに、籠神宮の奥にある天真名井神社おすすめです。
山陰地方〜若狭にかけては、やはり地理的なものか、古代の氏族などの名残が多く、大陸との関係など、いろいろと想像させられるものがあります。
玄松子様
>>祝詞なんかも掲載したくなった。
ぜひとも、掲載して欲しいです。
でも、するとなったら、版権とかいろいろ
大変そうですね。
第三者が、掲載してっていうのは簡単なんだけど・・・・
2000/12/05/01:10
玄松子
>>>祝詞なんかも掲載したくなった。
>ぜひとも、掲載して欲しいです。
「神社知識」のページに載せています。
祝詞の「解説」には「著作権」があるのでしょうが、
「祝詞」そのものには、すでに著作権はないはずですよ。
それに「引用元」を明記していますから、大丈夫だと思いますよ。
2000/12/05/07:19
後白河院
近いうちに行って見ます。
2000/12/07/06:10
新しいPCが届いたよ
玄松子
長野の整理が終わらない。その上、祝詞なんかも掲載したくなった。でも、神社を更新したい欲求が沸々。
ということで、思い出したように出雲の式内社を一社追加。名前が変わってる「都辨志呂神社」。
昨日、新しいPCが届いた。画面がきれいなんだ。きれいな画面で、自分のページを見ると、これまで気づかなかったアラが目立つ。特に神紋をJPEGにしていたのが汚く見える。我慢できずに、すべてGIFに変更。なかなか作業が進まないわけだよ。
2000/12/03/23:15
玄松子
>祝詞なんかも掲載したくなった。
朝、久しぶりにネットスケープで、このサイトを見た。
祝詞のページの「ルビ」が、有効になっていない。
見苦しかったので、色・文字サイズを修正。
2000/12/04/11:14
【 玄松子芳名・所感帳 2000年12月 】
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