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2001年02月
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Re: 天石門別安國玉主天神社
玄松子
昨日と同名の天石門別安國玉主天神社掲載。明治まではこちらが式社と認定されていたが、明治になって、取り消されてしまったのだ。
式社を剥奪された当社は、造営等の中止の下知が下る。
真偽については、僕の知識では判定できないのだが、なんだか切ない気持ちになってしまう。
2001/02/28(Wed) 22:21
天石門別安國玉主天神社
玄松子
天石門別安國玉主天神社掲載。「あまのいはとわけやすくたまぬしあまつかみやしろ」。長いのだ。長すぎる。もし場所がわからず、地元の方に聞くことになったらどうしようと、ドキドキしていた。が、あっさり見つかって、ほっとした神社。
もうすぐ3月なので、背景を変えた。葛飾北斎の北斎漫画から、「猿田彦大神」です。3月は別れの季節、旅立ちの季節。それぞれがそれぞれの道を歩む季節。ということで、道案内の神、道祖神なのである。みなさんが、幸せな道を歩まれます事を。。。
2001/02/28(Wed) 00:16
Re: はじめまして
玄松子
> 御朱印をいただく時の,朱印帳というのは,なにか決まった形の帳面ですか?
> 普通の 和紙綴じのノートでいいんでしょうか。
> お寺の納経帳と兼用でいいんでしょうか。
書き忘れていました。僕は寺院に参拝した時に頂く朱印も、神社で購入したものに押して頂きます。太宰府の戒壇院では、天満宮の御朱印帳でした。住職にお聞きしたら、「結構結構」ということでしたから、神社でも、納経帳で「結構」でしょう。
2001/02/27(Tue) 01:30
出雲神社
玄松子
山口県にある出雲神社を掲載。周防二宮。流造だが、モッコリとした社殿が印象的だ。
非常に天気が良く、年末なのに暖かくて、社殿の印象と重なり、モッコリとした参拝だった。(意味不明だな)
2001/02/27(Tue) 01:18
Re: リンク、感謝!
緑龍
ありゃ、そうですね。
失礼いたしました。
なんとか直しておきました。
また良い方向へ導いてくださいませ。
2001/02/26(Mon) 07:56
Re: リンク、感謝!
玄松子
> 私の方も早速張らせて戴きました。
拝見しました。
トップページですか。恥ずかしいです。
これからもリンク増やされるのなら、
別コーナーの方が。。。。
2001/02/25(Sun) 23:20
リンク、感謝!
緑龍
こんばんは。
リンクの件ありがとうございました。
私の方も早速張らせて戴きました。
これからも宜しくお願い致します。
ちなみに、私はいつも別のHNでカキコしている者ですけど〔バレバレかな?〕、このHNは今回かぎりです。またいつものHNのほうでこの掲示板にカキコさせてもらいますね。
2001/02/25(Sun) 23:11
立虫神社・万九千神社
玄松子
出雲の立虫神社と万九千神社を掲載。同じ境内にある神社です。参拝は一昨年の晩秋。正面の写真が欲しくて、刈り取られた田圃の中に入って撮影したのを思い出した。
写真といえば、塩野神社の写真が好評のようで、書込みやメールいただきました。ありがとうございます。実物の10分の1も表現できていないのが、恥ずかしい。
2001/02/25(Sun) 22:31
Re: 石井神社ラスト
こころ
いつもながら丁寧なレスをありがとうございます。
塩野神社のお姿、拝見しました。とても心に響くものがありました。下のこいっちさんの感想に全く同感です。
2001/02/25(Sun) 00:37
ありがとうございます
SPAT
ありがとうございました。
いつも,次こそ,次こそと思いつつ,
そのまま過ごしていました。
2001/02/24(Sat) 23:41
Re: 塩野神社二社
こいっち
こんばんは、こいっちです。
日ごとに続々とアップなさってますね!
それにしても出るわ出るわの神社訪問記録ですねー
古社であろうとなかろうと「かむさびた」感じのお社は、建物のみならず境内の玉砂利に一粒までもが荘厳さをかもし出していますものね。
> 木漏れ日の中の磐座は、次元を超えた存在感がある。
玄松子さんのこの感想、
読みかけて、とてもジンと伝わりましたよ!
2001/02/24(Sat) 22:26
塩野神社二社
玄松子
かなりのフライングだが、雨で閉じ篭っていたので、上田市の前山と保野にある塩野神社を掲載した。現在、式内社として有力視されているのは、保野の方だが、その佇まいから、観光客は前山に多く訪れるようだ。
式内であるかどうかは、ともかく、磐座を有する前山は、古社の趣満点で、社域も清涼。良い神社であることに変わりはない。
が、個人的には、古社=良い、という感じでもない。昭和に創建された神社でも、落ち着いた境内は存在するし、怪しげな雰囲気をかもし出している社もある。要するに、「良い神社」の条件は、僕自身、明確に持っているわけではないのだ。そういうこと。
歴史や立地条件だけではない、「存在感」を感じるかどうかだが。
2001/02/24(Sat) 20:53
五間堂伽羅倶神社追記
雄一
神社由緒碑には
神明宮から伽羅具神社(イの部首はない。)現在は五間道堂伽羅倶神社(イの部首有り)
町史・石川県神社史には
神明宮から伽羅神社(からじんじゃ)現在は
五間堂伽羅倶神社(からくじんじゃ)でした。
一部間違いがあったので補正します。すいません。
2001/02/24(Sat) 12:33
Re: はじめまして
玄松子
> はじめまして。
はじめまして。
> 御朱印をいただく時の,朱印帳というのは,なにか決まった形の帳面ですか?
> 普通の 和紙綴じのノートでいいんでしょうか。
> お寺の納経帳と兼用でいいんでしょうか。
正確なことは、それぞれの神社の社務所等で聞かれた方が良いと思いますが、墨書きできるものならば、良いのではないでしょうか。大学ノートだと駄目でしょうが、和紙ならばかまわないと思いますよ。
御朱印帳は、御守り等を置いている神社には、大抵ありますね。1000円ぐらいで、和紙を蛇腹状に折ったものですが、御朱印帳が無ければ、御朱印を押した半紙をいただけます。帳面にこだわらなければ、それでも良いと思います。
2001/02/24(Sat) 08:05
はじめまして
SPAT
はじめまして。さる方の紹介で跳んできました。
まだ細かいところまでは読ませていただいておりません。
ところで,突然質問などしてしまって,大変失礼とは思いますが,もしよろしければ教えてください。
御朱印をいただく時の,朱印帳というのは,なにか決まった形の帳面ですか?
普通の 和紙綴じのノートでいいんでしょうか。
お寺の納経帳と兼用でいいんでしょうか。
以前から,参拝記念にいただいてみようとおもいながらも,どういうものかよくわからないし,なんとなく尋ねることもなく過ごしております。
2001/02/24(Sat) 00:39
Re: 石井神社ラスト
玄松子
> 石井神社(西本町)の本殿は、写真からは神明造りであるような感じがするのですが、
> また、入母屋造りをした拝殿の写真も掲載されていますが、
確かに本殿は神明風の造りですが、ほとんどの部分が覆われています。また、拝殿も入母屋造風ですね。この二つがどのように連結されているか、よくわからないのですが、渡り廊下はなかったような気がします。自信ありませんが。
入母屋造は神社建築でも多く見られます。京都八坂神社本殿や福岡香椎宮もその系統ですね。神社建築は多くの点で寺院建築の影響を受けていますよね。僕が参拝した柏崎の神社には入母屋造の拝殿がいくつか見られました。拝殿の形状は地域で似たものになる場合が多いようです。
というか、横長の横拝殿の場合、当然平入りになるので、入母屋の形状になってしまいますね。
また、拝殿は、寺院の礼堂と関連があるという話もありますから、それほど珍しいとは思いませんが。
注)僕の認識不足という可能性もあります。
2001/02/24(Sat) 00:24
Re: 石井神社ラスト
こころ
いつも本当にお世話になっています。「記憶」のページの魅力の1つは、各地の神社の現況が写真によって分かることだと思います。そこで質問があります。石井神社(西本町)の本殿は、写真からは神明造りであるような感じがするのですが、そうなのでしょうか(松の木が邪魔していて確信が持てないのですが)?また、入母屋造りをした拝殿の写真も掲載されていますが、この建物は直背後に本殿をしたがえて、渡り廊下で連結されているのでしょうか?もしもそうだとしたら、仏様の入母屋造りと伊勢等の神明造りが強引に連接されていることになり、齟齬を感じます。こういう神社はかなり珍しいのではないでしょうか。
2001/02/24(Sat) 00:00
子檀嶺神社
玄松子
長野武石村の子檀嶺神社を掲載。最近、就寝前に一社掲載が習慣化している。それはそれで、なかなかなんだが、以前のように数社一度に掲載する気力がなくなっているのも事実。
仕事を持っていると集中して、サイトに取り組めないのだ。悩むことも多々。
独身なので、「神社へ婿入り」が理想的なのだが、ネットで検索できるわけではないし。悶々。
2001/02/23(Fri) 22:59
リンクしました
古神道
2月23日、リンクさせていただきました。
ご確認くださいませ。
今後とも宜しくお願いします。
でも、凄いですね、ひとつひとつ
サイトを拝見しますと、
自分もその神社を参拝したような気になります。
2001/02/23(Fri) 21:21
Re: おはようございます
玄松子
> いつ見ても、すばらしいホムペですね。
ありがとうございます。
> 先日、メールをお送りしましたが、
メールは届いております。
サイト設立おめでとう御座います。
貴サイトの発展をお祈りいたします。
2001/02/23(Fri) 18:57
Re: 金沢近郊の神社
玄松子
> 金沢市乙剣宮・松任市金剣宮・鶴来町金剣宮(もと八剣の祠)・根上町五間堂伽羅倶神社(15代応神天皇の時、神明宮から伽羅倶神社になる。創建年代は不明)おもしろいでしょうか。
先日、北陸へ行って参りましたが、温泉目的だったため、神社は数える程しか回っておりません。残念ですが、ここに挙げていただいた神社について、全く存じません。恥ずかしながら。
2001/02/23(Fri) 18:56
おはようございます
古神道
いつ見ても、すばらしいホムペですね。
はじめまして。
先日、メールをお送りしましたが、
もしかして届かなかったのかな、
と思い、カキコさせていただいております。
今後も神社のご紹介を楽しみにしております。
2001/02/23(Fri) 05:58
金沢近郊の神社
雄一
金沢市乙剣宮・松任市金剣宮・鶴来町金剣宮(もと八剣の祠)・根上町五間堂伽羅倶神社(15代応神天皇の時、神明宮から伽羅倶神社になる。創建年代は不明)おもしろいでしょうか。
2001/02/23(Fri) 01:18
石井神社ラスト
玄松子
式内石井神社論社の五番目を掲載。一区切りといった感じだ。次はどのあたりを掲載しようか、悩む。
2001/02/22(Thu) 22:29
Re: 止上神社
nick
> > 福岡県に「止上神社」があると聞きましたが、
> > 何でも太宰府の近くらしいのですが
>
> 「太宰府の近く」ということですが、どの程度近いのでしょう。とりあえず、太宰府市周辺と仮定してみましたが、「全国神社名鑑」、「福岡県神社誌」にはありません。もう少し離れているか、どこかの境内社かもしれませんが。
> 神奈備ならなにかわかるかもしれませんよ。
ご多忙のところ恐縮です。
ありがとうございました。
他を当たってみます。
2001/02/22(Thu) 20:33
Re: 止上神社
玄松子
> 福岡県に「止上神社」があると聞きましたが、
> 何でも太宰府の近くらしいのですが
「太宰府の近く」ということですが、どの程度近いのでしょう。とりあえず、太宰府市周辺と仮定してみましたが、「全国神社名鑑」、「福岡県神社誌」にはありません。もう少し離れているか、どこかの境内社かもしれませんが。
神奈備ならなにかわかるかもしれませんよ。
2001/02/22(Thu) 19:40
止上神社
nick
福岡県に「止上神社」があると聞きましたが、
何でも太宰府の近くらしいのですが
ご存じでしょうか。
2001/02/22(Thu) 16:44
Re: ありがとうございます
玄松子
> 「佐賀縣神社誌要」の出版元洋学堂書店です。
お世話になっております。
参考文献一覧にリンクをはっておきました。
2001/02/22(Thu) 00:59
Re: なぜ?
玄松子
> 神社の旅を写真とコメントで玄松子さんらしく描いたエッセイとか。。。
絶対に売れない自信があります。
2001/02/22(Thu) 00:53
Re: 仕事 そして石井神社
玄松子
> イロイロと考えて、今日の更新はなし。
と書きながら、なかなか眠れそうになかったので、一社掲載してしまった。悩める年頃なのだ。これが仕事ならなぁ。。。。
ということで、またまた、石井神社。越後の石井神社には、論社が5つある。これで4つ目。文献考証は得意じゃないし、「どれが本物か」には、あまり興味がないのだ。本物だと信じている人がいるということ、それが大事。だから、基本的に、論社はすべて行く。
2001/02/22(Thu) 00:50
なぜ?
凛
サラリ―マンにむいてないって、型にはまった毎日がお好きでないのでしょうか。知りたいです。人生は1度きりですからね-。興味あるもの追求するのって楽しそうですね。
私は「物書き」をおすすめします。神社の旅を写真とコメントで玄松子さんらしく描いたエッセイとか。。。丁装もご自分でデザインされて〈笑〉なんか楽しそうだな。
2001/02/21(Wed) 22:41
仕事
玄松子
性格的にサラリーマンには向いていないのかもしれない、と考え始めている。
何か、良い仕事はないものか。イロイロと考えて、今日の更新はなし。神社関連の仕事って、神職以外に何があるんだろう。
2001/02/21(Wed) 21:11
ありがとうございます
店守
「佐賀縣神社誌要」の出版元洋学堂書店です。文献として語掲載いただきありがとうございました。当社では古書・洋書も取り扱います。お閑の折にご高覧賜れれば幸いです。
http://www.yogakudo.com/
2001/02/21(Wed) 06:57
石井神社
玄松子
今回も、昨日と同じ社名の石井神社。式内石井神社の論社の一つ。論社とは、候補の意味。
断絶したり、遷座したり、分祀したりで、どれがオリジナルか、わからなくなっている式内社も多く、その候補なのだ。中には、明らかに違うものもあるが、たとえ、式内でなかったとしても、古社であることに変わりはないし、地域の信仰は篤い。そういう神社。
日本海からの風をまともに受ける立地条件。今頃は雪に覆われているのだろうか。
2001/02/20(Tue) 22:44
石井神社
玄松子
これも、久しぶり、新潟の神社を掲載。昨年の5月にレンタカーで新潟を走り回った。毎日、日出から日没まで、神社に浸っていたのだ。
その新潟の神社がまだ数十社、未掲載で残っている。そろそろまとめて掲載しないと、終わらないぞ。
2001/02/19(Mon) 23:50
輕樹村坐神社
玄松子
久しぶりに奈良の神社を掲載。奈良に行きたくなって来た。そろそろ自転車で走り回っても辛くない季節になるのではないだろうか。まだ、寒いか。
2001/02/19(Mon) 00:54
次は。。。
玄松子
3月に連休がとれそうだ。さて、次は何処へ行こうか。まだまだ日本は広いので、イロイロと行きたいところはあるんだが。
金沢では、神社巡りがあまり出来なかったので、今度は、日出から日没まで、思いっきり巡ってみたいのだ。
どこか面白そうなところはないだろうか。
2001/02/18(Sun) 13:19
Re: 大穴持像石神社
こころ
いつもお世話になっています。早速、雪の大穴持像石神社のお姿を拝見しました。時間が止まってしまったかのようで、本当に美しいですね。思わず浸ってしまいました。
2001/02/17(Sat) 22:26
大穴持像石神社
玄松子
ちょっと早いが、暇だったので、明日の分も更新。
雪の参拝は、寒いし濡れるしで大変だが、真っ白の境内に、自分の足跡だけが点々と残る光景は、なんとも云えない美しさがある。ちょっと感動ものだった。
2001/02/17(Sat) 21:51
気多大社
玄松子
本日も寒さのため、家に閉じ篭り、能登の整理をしていた。ということで、気多大社を掲載。
参拝終了間際に、柔らかな雪が降り出し、上半身ずぶ濡れ状態になった。バスの便数が少なく、その身体で、バス停でかなり待つ。羽咋から七尾・輪島方面へ行く予定だったが、震えがきたのでホテルに戻り、湯に浸かって一日を過ごしてしまった。
順調な旅よりも、その程度のトラブルがあった方が、旅は面白いのだが。しかし寒かった。
2001/02/17(Sat) 19:09
王子宮
玄松子
当初、参拝の予定に入れていなかったのだが、55号線が空いていて、予定より早かったので、ちょっと寄り道。
軽い気持ちで探したが、全然見つからず、地図と違う道路が作られているようで、ウロウロと歩き回る事になった。
集落内の折れ曲がった道は、方向感覚を狂わせ、地図が読めない状態になる。結局、何度か行き過ぎた道にあったのだ。まだまだ未熟。
2001/02/16(Fri) 00:22
多気・坂本神社
玄松子
多気・坂本神社掲載。
高知市から東へ、安芸を通過して室戸の手前の小さな町・奈半利にある。のどかな田園地帯だ。
古事記の神武東征の通過地である阿岐国多祁理の宮は、広島の安芸ではなく、高知の安芸で、多祁理の宮は、この多気神社の辺りだという説もあるらしい。
2001/02/14(Wed) 23:43
Re: いいなぁ、北陸
玄松子
> カニは食べまくりでしたか?(笑)
それが、期待していたほどではなかったのです。カニ道楽の方が性に合ってるのかもしれません。温泉はさすがに「ヌメ」っとしていて気持ち良かったんですが。
> 風邪ひきの状態での北陸は
そうでした。風邪ひいてたんですね。忘れてました。
2001/02/14(Wed) 23:34
いいなぁ、北陸
こいっち
玄松子さん、おかえりなさいませ。
どうですか、
カニは食べまくりでしたか?(笑)
風邪ひきの状態での北陸は
よけいに肌身に答えたことでしょうね。
それでも、帰宅後の即アップには
ほんと頭が下がりますよ。拍手♪
2001/02/14(Wed) 20:59
岩隈八幡宮
玄松子
北陸の温泉に行って来た。温泉目的なので、神社巡りは、ほどほど。これほど神社へ行かない旅も珍しい。というより、寒さに弱いため、動きたくないのだ。雪に濡れた身体は最悪のコンデションだったし。
帰宅したら、神職の方からメールがはいっていた。このようなメールが非常にありがたいのだ。
ということで、岩隈八幡宮を掲載。久しぶりの更新ですな。
2001/02/13(Tue) 20:30
四国
後白河院
讃岐・飯依比古、阿波・大宜都比賣、土佐・建依別、伊予・愛比賣という男女別の構造、食にまつわる位置付け、伊弉諾尊、伊弉冉尊が、淡路、阿波に関わりがあることを考えると、もっといろいろなことが想像できますね。
2001/02/10(Sat) 10:54
Re: 三輪神社について教えてください
こころ
> 『大神神社』(学生社)に「大神神社分祀一覧」が掲載されていました。式内・国史見在社・国内神名帳にある大神神社関連社の一覧です。あまり多くはないですが。
玄松子さん、神奈備さん、一度ならず二度までものレス、大変嬉しかったです。実は、学生社の本と東方出版の本は持っていたのですが、改めてお二人の行き届いた文献の知識に頭が下がりました。
神奈備さんの「名草郡の神々」はいつも次の更新が楽しみです(もちろん他の「神奈備」のページも)。去年の3月、生まれて初めて南紀方面に旅行しました(仲間と一緒だったのであまり神社に行くことはできませんでしたが)。日本書記に、名草戸畦を誅した神武天皇が佐野を越えて熊野の神(ミワ)邑に至り、天磐盾(ゴトビキ岩)に登ったとあります。ゴトビキ岩を見上げる新宮市内で、ミワという地名が残ってないか見ていたら、確か速玉大社のそばだったと思いましたが「三輪崎」というバス停があってとても嬉しかったです。
玄松子さん、お風邪は大丈夫ですか?たまには休養も必要ですよ。式外社のリストが作れるかは分かりませんが、「国内神名帳の研究」は早く図書館で読んでみたいです。早く良くなって下さい。
2001/02/09(Fri) 02:00
ぢじょうぶ?
凛
風邪はやってますよね。大事に至らないように気をつけて下さいね。更新を楽しみにしてる人いるのですから!それからたわいもない質問〈忍者資料館)に答えてくださってありがとうございます。早速、11日子供の5歳の誕生日に連れていってあげることにしました。それではお大事に。
2001/02/08(Thu) 22:18
風邪
玄松子
風邪を引いてしまった。
日に々々、悪化しているのがわかる。
連休は、北陸なのに、カニなのに。
大丈夫なのか。
で、更新はなし。
2001/02/08(Thu) 21:26
Re: 三輪神社について教えてください
神奈備
東方出版の
『神奈備・大神・三輪明神』にも出ています。創立年が出ていますので、これが信用できるなら、式外社かどうかは判別できますね。
2001/02/08(Thu) 18:16
Re:三輪神社について教えてください
玄松子
>式外社で「三輪神社」とか「大己貴神社」とかがあるのを知っていたら教えてくれないでしょうか?
『大神神社』(学生社)に「大神神社分祀一覧」が掲載されていました。式内・国史見在社・国内神名帳にある大神神社関連社の一覧です。あまり多くはないですが。
2001/02/08(Thu) 17:13
Re: 忍者
玄松子
> こいっちさんが前書き込んであった(忍者資料館)どうなりました?
この、(忍者資料館)って、戸隠のことでしょうか。長野県の。
資料館ではないですが、「忍者村」なら福岡市にありますね。
2001/02/08(Thu) 10:35
忍者
凛
こいっちさんが前書き込んであった(忍者資料館)どうなりました?息子が忍者にこってるので九州に近いところであれば連れて行きたいと思ってます。ご存知であれば教えてください。
2001/02/08(Thu) 10:11
Re: 一宮
ROM
いつもはROM専門。
> ですから、時代背景を考慮しておかないと、どこが本当の一宮なのか等という議論は無意味なものになります。
玄松子さんはどれが本当かなんて議論してません。一宮のページにも出典を出して並べて書いてますし。
「風姿」さんはこのサイトほとんど見て無いようだし。
2001/02/08(Thu) 01:31
Re: 一宮
玄松子
> また、郷の一宮と云うものもあります。
隠岐島では、知夫島にある天佐志比古命神社も、地元では一宮とよばれていますからね。極端な例では、同一境内に一宮・二宮と並ぶ場合もあります。
> 神社を数百年、時には千年以上も維持するというのは大変なことで、
> それでも地元崇敬の厚い古社はたくさんあります。
その通りだと思います。
> 周防三宮「仁壁神社」は一昨年放火に会い、
昨年末に参拝させていただきました。新しい社殿の匂いも嗅いで参りました。
> 九州であれば、安心院の三女神社や久留米の元伊勢天照社などは、探訪されてみることをお奨めします。
ありがとうございます。安心院の三女神社は知りませんでした。
今度、時間があれば、参拝したいですね。
2001/02/07(Wed) 16:19
一宮
「風姿」
一宮と呼ばれる神社は、時代によって変わることがあります。国割りが変わると国ノ一宮は変わります。徳島では、粟ノ国と長ノ国が阿波の国に集合されましたから、一宮と呼ばれる神社もそれに伴って変転しています。
戦国時代には国割りが非常に複雑化しましたから、どこの地域でも錯綜としています。
ですから、時代背景を考慮しておかないと、どこが本当の一宮なのか等という議論は無意味なものになります。
また、郷の一宮と云うものもあります。
神社を数百年、時には千年以上も維持するというのは大変なことで、特に徳川時代に、人別をお寺で行うようになってからは、神道家氏子と云うものが激減しましたから、経済的苦境にたたされ、それ故社格の高さ、それは概ね最も社格の高かった際の地位を表明する事で、何とか維持しようとしたりもしてきているわけです。為政者の庇護下にあった神社社殿はそれなりに立派ですが、そういうパトロンを持たない神社では社殿も簡素にならざるを得ません。それでも地元崇敬の厚い古社はたくさんあります。
(情報)
周防三宮「仁壁神社」は一昨年放火に会い、社殿新築されました。神道家氏子は神職含めて3軒しかなく、社中氏子や、近隣氏子などへの寄進呼びかけなどもされ、何とか社殿復旧されましたが、相当苦労されています。
九州であれば、安心院の三女神社や久留米の元伊勢天照社などは、探訪されてみることをお奨めします。どちらも古社中の古社といえると思います。
2001/02/07(Wed) 15:42
「一宮」というもの、私見
玄松子
一宮の成立は、『神道辞典』では、「朝廷または国司が特に指定したというものではなく」、「公認せられるに至ったもののようである。」と記されている。
この表現は、なかなか難しいのだが、幾つか在る有力社の中から、No.1とされるためには、その「公認」がもっとも重要だろう。公認されない有力社は、「一宮」ではないのだから。
現代日本の政治制度において、「XX大臣」というのに似ている感じだ。時の最高権力者が、「指名」する大臣だが、大臣であるからといって、政治家として優秀であるわけではないし、大臣で無いからといって、無能であるはずがない。「指名」されるかどうか。その点だけの違いだ。
非常に優秀で、国民の支持も絶大な野党の政治家も多く存在するし、国民や地元の支持が薄いのに大臣になる者もいる。もちろん、能力の高い大臣も。
要するに、権力者によるラベル付けであり、一つの慣例的な「制度」なのだ。
祭政一致の時代では、有力社への崇敬・関係作りもまた、統治の重要な行為だから、国内第一と「公認」することで、強固な関係を築くことになる。権力者側の都合で構築されたシステムと云えるだろう。
「一宮」以外の格付も同様だ。神社や祭神の本質を左右するものではないはずなのだが。
では何故、その意味の無い「一宮」の一覧などを掲載するのか。
神社へ参拝し、神職の方や、地元の御老人と接していると、
「ここの神さんは、この郷で一番えらいから」
「当社は、XXXにも載っている由緒深い神社で」
などと、自分の事のように誇らしげに語ってくれる。このような氏子・崇敬者の方々の努力によって、長い年月、守り続けられていると実感する。「格」には意味は無いのだが、こうした人々の誇りには最大の敬意をはらうべきだと思う。
2001/02/07(Wed) 11:34
Re: こんにちは
玄松子
はじめまして。
> また違った気持ちで参拝できそうです。
ありがとうございます。このサイトは、単なる玄松子の「参拝記録」で、個人的アルバムと大差ないのですが、そのように見ていただいて大変光栄です。
> ところで玄松子さんがこの旅をしようと思ったきっかけはなんですか?おしえてください。
神話・民話への興味や、神仙への憬れ、旅好き、土地土地で出会う人のありがたさなど、理由はイロイロあるんですが。
一番大きな理由は、境内に入った瞬間の気持ちでしょうか。そこだけ違う世界がありますね。初めてなのに懐かしい、寂しい、暖かい、怖い、 清々しいといった、頭で理解したものではない感情が湧き上がります。
2001/02/07(Wed) 10:47
こんにちは
凛
このホ―ムペ―ジを拝見してると和のしっとりとした雰囲気が伝わってきて心が落ち着きます。神社といえばお正月の三社参り、子供の初宮参りや七五三という行事がなければ訪れなかったのですが、こうして玄松子が旅した記録をたどり神社を深く知るとまた違った気持ちで参拝できそうです。ところで玄松子さんがこの旅をしようと思ったきっかけはなんですか?おしえてください。
2001/02/07(Wed) 10:27
Re: 初めまして
玄松子
> 良く歩かれていますね。懐かしい神社の画像等楽しませて頂きました。
メールでは失礼いたしました。書込みありがとうございます。
> 大粟神社の件ですが、
>
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/jin/ja-tm-ka.htm
> に、この神社の解説画像を載せていますので、
> ご参照下さい。
拝見させていただきました。なかなか興味深い由緒です。
「元暦二年、正一位の位階を給いて後、一宮大明神として云々」という点、面白いですね。
これは、吾妻鏡にでも記されているんでしょうか。元暦二年(1185)は、3月に平家が壇ノ浦で滅ぶという歴史的クライマックスの年です。瀬戸内周辺、特に四国では、騒乱の時期ですね。頼朝の神仏崇敬も大変なものだったと想像できますね。
2001/02/07(Wed) 09:05
初めまして
「風姿」
メール有り難うございます。
良く歩かれていますね。懐かしい神社の画像等楽しませて頂きました。
大粟神社の件ですが、
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/jin/ja-tm-ka.htm
に、この神社の解説画像を載せていますので、
ご参照下さい。
どう判断するかは、個々人異なるでしょうから、コメントは遠慮させていただきます。
この頁以外の事としては、平安初期に田口一族の氏神社として奉祭された時期があり、「田ノ口大明神」と地元では呼ばれた時期があること、及び川向かいの山中に別社があったと伝えられている事を付記しておきます。
無論この様なことは、各種解説本等には記載されていないかもしれません。
2001/02/07(Wed) 03:22
Re: 阿波一宮氏
玄松子
> 記されているとおり、大粟神社が阿波一宮です。
で、その根拠は何なんでしょう。
風姿さんの掲示板を見ましたが、記されていませんでした。
「中世諸国一宮制の基礎的研究」には、大栗神社に関して、「特に一宮を称した中世以前の史料は見あたらない」と書かれています。
また、「勧請」された一宮神社に関して、久安2年(1146年)の「河人成俊等間注申詞記」に「一宮司」とあることから、一宮であろうと判断していますね。しかしこれは、一宮神社の社司の意味ですから、社名が「山田神社」なら「山田司」となるでしょう。
そこで、この「一宮神社」の「一宮」が、一宮制の「一宮」か、一宮氏の「一宮」か、どっちなんだろう、という疑問が出ますね。(前回の質問はこの意味だったんですが)
この史料は1146年ですが、927年の延喜式では、大麻比古神社が名神大社で、阿波国の筆頭に挙げられていますね。一宮氏台頭以前には、大麻比古神社の方が第一ですね。
これは、たんなる私見ですが、諸国一宮にあたる神社は、通称「一宮」と呼ばれることはあっても、それを社名にするのは、考えにくくありませんか。一宮神社は一宮氏の私的神社ではないでしょうか。
一宮制は、国司が国内第一と判断し崇敬する社のことですから、領主であった一宮氏が、私的神社一宮神社を第一とした場合、実質的には阿波一宮と呼べるものではありますが。
2001/02/06(Tue) 23:24
阿波一宮氏
後白河院
#掲示板の内容は解りました。
記されているとおり、大粟神社が阿波一宮です。
現一ノ宮は、勧請社で、後世のものです。
一宮氏というのは、この地方の領主で、一ノ宮神社は現在地の横にある山城に最初は勧請されていた
のですが、不便なので現在地に移されたものです。
大比古神社は別系統です。
#一宮氏つまり小笠原氏ですが、国造一宮氏(上一宮家)を滅ぼし、
上下一宮を支配、東阿波を領有、南北朝時代は南朝に加担し、
長宗我部氏と対立。後、長宗我部元親に滅ぼされた。
と云った模様です。
ということを「風姿」さんより得ました。
2001/02/06(Tue) 22:29
雪・温泉・カニ
玄松子
こんどの連休は、金沢・加賀へ。
雪見て、温泉入って、カニ食って……。
ということで、神社には、あまり行かないでしょう。
昨日に続いて、二社掲載。
2001/02/05(Mon) 00:15
Re: 一宮
後白河院
> 「一宮氏」はどうなったんでしょう。
パソコンがクラッシュして1月ぶりに直った。
ROMはしてたんですが。会社のPCなので書けなかったのです。で、この問題にくわしそうな人のサイトがあったので掲示板で聞いてみます。
2001/02/04(Sun) 16:59
眠い
玄松子
今日は、壱岐へ行くつもりで、目覚ましをかけ、早朝に起床した。
はずなのに、気づいたら昼近い。なぜだ。眠い。
仕方が無いので、加太の神社を二社掲載した。
以前、こいっちさんに教えられた通り、「下着」が沢山あった。祠内には、リアルな陰・陽のアレがずらっと。
2001/02/03(Sat) 17:30
北斎
そま
いつもデザイン凝ってるから絵も自作なのだと思っていました。
>スセリさんにそそのかされましたね。
玄松子さんにそそのかされた記憶もあります。 コリャ。( -_-)_θ☆)>_<)アッ!
いえいえ、本当は新築ページに無料でついてくるので、使ってみるのですよ。
2001/02/03(Sat) 17:20
Re: 限定ですか。
玄松子
> 御自分で描かれたのかしら?
そ、そんな馬鹿な。葛飾北斎です。トップに「北斎画」と追加しておきましょう。
とうとう、掲示板ですか。
スセリさんにそそのかされましたね。
2001/02/03(Sat) 15:37
限定ですか。
そま
こんにちわ。トップページ拝見しました。六条御息所、御自分で描かれたのかしら?これは豆ぶつけたら怒られそう。(^^;)
近々うちも掲示板ができますのでヨロシク〜。
2001/02/03(Sat) 15:32
葵上
玄松子
節分なので、トップページの背景を、節分限定「葵上」にしてみた。
鬼女です。渋いぞ。
2001/02/03(Sat) 14:34
大隅の式外社
nick
一応、平安以前からある神社を。
該当するかどうかは判りませんが
当地近辺には2箇所あります。
1.止上神社
2.日枝神社
いずれも国分市内です。
鹿児島の場合、昨年でしたか
照国神社から鹿児島のリストがでていたと
記憶しています。
かなり高価な書籍でしたが、、
2001/02/02(Fri) 13:11
掲示板変更
玄松子
見た目は、ほとんど同じなんだが、中身は全然ちがうのだ。
「レス」を残しつつ、ログが簡単に取れるよう、いろいろ考えて、「神奈備」に設置している掲示板が、シンプルで良い、という結論に達し、同じものを使用しているのだ。
2001/02/01(Thu) 20:26
梅鉢紋の背景
玄松子
うーん。自分で書くのもなんだが、この背景、良いぞ。
2月の背景は、迷った。
節分なので、「鬼」をテーマにとも考えたが、すぐ終わってしまうので、梅にしたのだが。
2001/2/1(Thu) 1:37
レス、なくなりました。
玄松子
月毎のログをとっているんだが、レスがあると、面倒なのだ。
スレッド長いのも、好みじゃないし。
ということで、「レス」なくしました。
「レスするな」って意味じゃないよ。
長倉神社掲載。軽井沢の神社。11月の軽井沢は霜に覆われ、寒かった。でも、冬の青空が印象的。
2001/2/1(Thu) 0:7
【 玄松子芳名・所感帳 2001年02月 】
玄松子のぶろぐ
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