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下立松原神社
しもたてまつばらじんじゃ
千葉県南房総市千倉町牧田193
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式内社 安房國朝夷郡 下立松原神社 |
千葉県南房総市千倉町にある。
千倉駅の西200mほど。道路を越えたところに入口がある。
が、ちょっとわかりにくいかもしれない。
境内に入ると、正面に杉の大木が二本そびえ、その奥に社殿が見える。
かなり背の高い杉で、見上げても先端がよくわからない。
樹齢600mということ。デカイ、高い。
社殿は、拝殿がなく、本殿が覆屋(外屋ともいうらしい)の中。
覗いてみたが、彩色と彫刻の施された本殿だった。
祭神は、天日鷲命で、美奴射持命(ミヌエモチのみこと)が祀ったという。
が、美奴射持命が誰なのかは不明。安房忌部の一族と考えられている。
白浜の下立松原神社とともに、式内・下立松原神社の論社だが、
志賀剛氏は、白浜の社は松が多く、当社には杉が多いということで、
白浜の社が、式内社であるという。
平成祭データにあった当社の由緒にある、神々の鹿狩りの話が面白い。
鹿島では鹿は神使だが、諏訪では贄、当社では害獣と考えられている。
社殿の左に、社号の石碑がある。
それによると、駒形・浅間・垂迹・六所・歯神・ほうそう神が合祀されており、
境内社には、八雲・稲荷・天・子安社の4社。
また、御霊白幡大明神というのがあるらしい。
広い境内を左へ歩くと、経塚や、頼朝公馬洗池跡があり、
その奥に社殿が見える。多分、これが御霊白幡大明神だと思う。
本社と同様に、赤い外屋の中に本殿が鎮座している。
下立松原神社 |
御霊白幡神社 | 境内社 |
社殿 |
御霊白幡神社・本殿 | 社号石碑 | 下立松原神社・本殿 |
式内社下立松原神社 当社は天日鷲命を祀る社で、昔、天富命が天日鷲命の孫由布津主命が、祖神を祀ったのが当社である。当時鹿などの獣が住民の農作物を荒すので、神々が狩りを行い、獣の害を除いた神恩に感謝する祭が今も神狩の祭として行われ、また狩りで捕えた大鹿の角が社宝として現存している。 武将の尊崇も厚く、源頼朝公、里見義実公も太刀を献納し武運を祈っている。 −『平成祭データ』− |
経塚 | 頼朝公馬洗池跡 |
経塚の由来 源頼朝西歴一一九二年(建久三年) 征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を 開き先に創建した。御霊白幡神社へ 源頼義・義家の木像及び薬師如来像 並びに源頼朝書写の大般若経六〇〇 巻を奉納し、年々経の転読をし、武 運長久・国家安泰を祈願してきたが 年月を経るに従い破損がひどくなり 西歴一七七二年(明和九年)三月 石函に納め経塚を建て保管した。 −境内案内板より− |
【 下立松原神社 (千倉町) 】