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優婆夷宝明神社
うばいほうめいじんじゃ
東京都八丈町大字大賀郷無番地

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式内社 伊豆國賀茂郡 優波夷命神社 |
東京から290Km南にある八丈島にある。
八丈島空港の南2Kmほどの大賀郷に鎮座。
八丈島の中央部西側にある八重根港の近く、高台に境内がある。
境内入口は南向き。
石の鳥居をくぐると境内。
境内の左側が広く、右側に社殿がる。
拝殿に右手に社務所があり、
拝殿の後方には、珍しい石積みの本殿。
本殿内部には、木造女神坐像などが安置されているらしい。
本殿の斜め後方左右に、一対の織部灯籠がある。
織部とは、戦国武将であり茶道家でもある古田織部のこと。
織部灯籠は、竿の部分が膨らんでおりマリア像が刻まれているので
キリシタン灯籠とも呼ばれている。
が、社前の案内によると、当社の灯籠は
キリシタンや茶道には関係なく、
八丈島に流刑されていた石工・仙次郎が
自由に腕をふるって作成されたものらしい。
創祀年代は不祥。
総社・郷社とも呼ばれ、八丈島・八丈小島・青ケ島の総鎮守として
崇敬されている古社。
式内社・優波夷命神社と式内社・許志伎命神社を
合殿に祀る神社。
寛政年間に、当時の神職・奥山氏の老衰により
岡里の私邸に遷座されていたが、
明治八年、旧地の戻し、復興された。
優波夷命神社に祀られる八十八重姫(優婆夷大神)は、
三島大明神(事代主神)の妃神の一人。
(ただし、近世には天照大神と考えられていた)
優婆夷大神は八丈島に渡り、古宝丸(宝明神)を生む。
この古宝丸が、式内社・許志伎命神社の御祭神。
(ただし、大山祇命とする説もある)
後、八十八重姫と古宝丸は、母子交合し、八丈島が繁栄したという
始祖伝説があるらしい。
『三宅記』に「イナハエノ后」と記されている神が優婆夷大神。
「イナバエ」から「ウバイ」に転訛したものだと考えられている。
その御子・宝明神は、『三宅記』には五郎王子として登場する。
八丈島北部に八丈富士と呼ばれる西山がある。
西山の南麓の旧地名を「甑(コシキ)山」といい、
式内社・許志伎命神社は、もとは甑山に鎮座していたという。
甑の文字が、古敷となり古布となって、古宝と変化したという。
拝殿の傍らに、古い手水鉢が置かれており、
三角形の紋が刻まれていた。
この三角形が当社の神紋かどうか確認していないが
面白く珍しい紋だったので、掲載しておく。
社域 |
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鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
境内と社殿とソテツ |
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拝殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
社殿 ![]() | 織部灯篭(後ろの灯籠) ![]() |
本殿 |
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−社頭案内板− |
