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咲前神社
さきさきじんじゃ
群馬県安中市鷺宮3308

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旧村社 |
群馬県の安中市にある。
安中駅の南西5Kmほどの鷺宮に鎮座。
安中駅と磯部駅の中間あたりに、道路に面して東向きの境内がある。
境内入口には赤い鳥居。
鳥居の左脇に、嘉永二年に建立された、
当社宮司による「登志月の先へまわりぬ初霞」という詩を刻んだ句碑がある。
鳥居をくぐり参道階段をのぼると砂利の境内。
参道の右手に手水舎があり、参道を進むと左手に神楽殿。
小祝神社から伝えられた安中市重要無形文化財の太々神楽が奉納されるらしい。
参道の正面には、瓦葺入母屋造平入りの拝殿があり、
拝殿の後方に銅板葺流造の本殿。
本殿の後方に回ると、狛犬らしきものが置かれていた。
原形を留めないほど風化しているので、古いものなのだろう。
参拝は天気の良い晩秋の十一月。
七五三の季節で、休日には多くの参拝客が訪れるのだろう。
境内には休憩用の日除けテントとベンチが置かれていた。
『上野国神名帳』に「従五位上 咲前明神」とある古社で、
「咲前」の社号は抜鉾神社(一の宮貫前神社)の旧鎮座地(前宮)と伝えられるため。
神代の昔、経津主神が建御名方神を追って、
上野・信濃両国の境である上州下仁田の荒船山に御出陣の際、
当地(鷺宮)に宿陣されたと伝えられている。
安閑天皇元年(534)六月、初の申の日に、
神石「雷斧石(らいふいし)」に神が出現したため
朝廷に上奏し、社殿を建てて抜鉾大神(経津主神)を祀ったと云う。
白鳳元年(650あるいは672)、
第十一代小崎邦平が神託により、現在の貫前神社の地に遷座。
よって、当社は改めて先宮明神として創祀され、
万延元年(1860)十月に前宮神社、明治十一年には咲前神社と改称した。
当社の神紋について。
社殿や拝殿前の提灯には剣片喰紋が付けられていた。
鷺宮と呼ばれているためか、授与所でいただいたリーフレットには、
鷺紋も載っていた。
社殿の右手に、境内社の絹笠神社。
同じ社殿内には金刀比羅神社も祀られており、男根形の奉納品が並んでいた。
当社には白いヘビがいると云われ、
白いヘビを拝んで借りて帰ると「蚕が当たる」という信仰があるらしい
白いヘビは蚕の神様らしい。蚕を食べるネズミの天敵だからだろう。
社殿の左右に根子(ネコ)石という磐がある。
境内の小石に願をかけて根子石の上に乗せると願いが叶うという。
ネコ石と呼ばれるのは白ヘビ同様にネズミ駆除祈願の影響だろうか。
家の近くでも、昔、養蚕が盛んだったようで、
ネズミを駆除する猫を猫神として祀っている祠がある。
また、境内の左手に鷹巣神社。
さらに、境外左手奥には小さな稲荷神社が祀られている。
社頭 |
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句碑 ![]() | 鳥居 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 絹笠神社 ![]() |
社殿 |
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本殿 ![]() | 本殿に古い狛犬? ![]() |
社殿左に根子石 ![]() | 右にも根子石 ![]() |
鷹巣神社 ![]() | 稲荷神社 ![]() |
咲前神社 由緒
往古、経津主神が建御名方神を追って、上信両国の境である上州下仁田の荒船山に出陣の際、当地(鷺宮)宿陣されたと言われている当神社は上野国神名帖に「従五位上咲前明神」と記され由緒ある神社である。白鳳元年(六七二年)三月、下総国香取神宮経津主神を鎮座し先宮明神といわれ、万延元年(一八六〇年)十月に前宮神社となり、明治十一年から咲前神社と称するようになった。 咲前神社のいわれは抜鉾神社(一の宮貫前神社)の旧鎮座地(前宮)伝えられている。 太々神楽(安中市重要無形文化財) 文化十二年(一八一五年)におこなわれ、笛吹き三人、太鼓一人、鉦鼓一人、舞者七人で構成され、演奏にあわせて舞を神話にもとずき十二座が上演される。 −『平成祭データ』− |
