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大國神社
おおくにじんじゃ
群馬県伊勢崎市境下渕名2827
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式内社 上野國佐位郡 大國神社
御祭神 |
群馬県境町(現伊勢崎市)にある。
境町駅の北2Kmほどの下渕名、17号線の横。
木に隠れて赤い鳥居があり、木々のトンネルのような参道。
境内前にも赤い鳥居がある。
拝殿はかなり大きく、背後の本殿も大きい。
近世には、五護宮、第五姫宮と呼ばれた神社。
配祀の「丹波五女」がその由来とされている。
日本書紀垂仁天皇の条にある、丹波から後宮に入った5人の姫。
垂仁天皇の御代、諸国に疫病が蔓延し、人々が死ぬ状況の中、
天皇は諸国の神々に、その救済を祈った。
東国へ派遣された、百済の車臨が、当地に来た時、
御手洗池で手を洗っている白髪の老人と出会い、
名前を尋ねると、「大国主命」であると告げる。
そこで、車臨が、人々の救済を願うと、老人の姿は消え、
疫病もなくなったという。
そこで、垂仁天皇は、車臨を賞賛し、当地を与えたという。
御手洗池に祀られていた御手洗神社は、当社に合祀されている。
参道入口の鳥居 | 参道 | 境内の鳥居 |
境内 |
拝殿 |
拝殿 | 本殿 | 御手洗の石幢 |
境内には、浅間神社や天満宮、八坂神社などの境内社の他に、
社殿周囲に石祠や石碑がたくさんあって、そぞれに社名の立て札が立っていた。
小さな境内社も、ちゃんと識別して祀る姿勢は、立派だと思う。
社殿周囲の石祠は以下の通り。
疱瘡神社、弥都波能女神社、西宮神社、猿田彦大神、少彦名神社、摩利支天宮、
八幡神社、牛頭天王社、地神神社、多賀神社、稲荷神社、住吉神社、諏訪神社、八坂神社。
浅間神社 | 天満宮 | 八坂神社 |
庚申塔 | 弥都波能女神 |
西宮神社 | 諏訪神社、住吉神社 |
疱瘡神社 | 猿田彦大神 | 少彦名神社 | 摩利支天宮 |
八幡神社 | 牛頭天王社 | 大国主命 | 地神神社 |
多賀神社 | 稲荷神社 | 八坂神社 | 社叢 |
上野国式内十二社大国神社縁起
境町大字下渕名字明神鎮座
−社前案内板− 大國神社由緒
延喜式神名帳に上野國大國神社、上野國神名帳に鎮守十二社として従一位大國神社として記される。垂仁天皇の十五年九月、丹波国穴太郷より五媛「日葉酢媛命・淳葉田瓊入媛命・真砥野媛命・薊瓊入媛命・竹野媛命」奉遷して配祀神とした。称徳天皇の御代の神護景雲元年(七六七)、勅を奉じて当地に来た従五位上佐位采女が大国主命を国の造神と號し、渕名荘三十六郷の総鎮守として社殿の修造した。光格天皇の文化元年(一八〇四)、現在の社殿に改築。明治七年には熊谷県北第十六第区の佐位郡那波郡四十二ケ村の郷社に列せられた。明治四十年三月二十五日、無格社御手洗神社・八坂神社を合祀して今日に至る。−『平成祭データ』− |
【 大国神社 大國神社 (伊勢崎市) 】