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二宮赤城神社
にのみやあかぎじんじゃ
群馬県前橋市二之宮町886  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 上野國勢多郡 赤城神社 名神大
旧郷社

御祭神
大己貴命
多紀理比賣命 多岐津比賣命 市岐嶋毘賣命
天忍穗耳命 天之笠早命 熊野久須毘命 活津日子根命 天津日子根命
和久産巣日命 大物主命 建御名方命
配祀
級津姫命
須佐之男命 建御賀豆智命 大地主命 誉田別命 菅原道眞
彦狹嶋命 少彦名命 天津日大御神 級津彦命 大山祇命
磐筒男命 磐筒女命 日本武命 級津姫命

群馬県前橋市にある。駒形駅の北東3Kmほど。
50号線と17号線が分岐する場所、二之宮町に鎮座。

南向きの境内には、多くの石祠が祀られており、
総社的雰囲気の神社だった。

参拝した日は、お祭りの日、あるいは翌日だったようで、
境内には、ピンクの提灯が並んでいた。

創立年代は不詳。
社伝によれば、垂仁天皇、あるいは景行天皇の御代の創建。
周囲には、古墳や遺跡の多い場所。

赤城神社は上野国二宮であるが、当地の地名も二之宮。ということは、
現在、赤城神社の本社は、三夜沢の赤城神社と考えられているが、
二宮となった時期には、赤城神社の本社は
当社であった可能性が高いと思われる。

当社の鎮座地は、赤城山の南麓で、
三夜沢の赤城神社からも真南に位置しており、
当社の特殊神事に、三夜沢へ神輿を往復させる御神幸がある。

また、当社の近辺には、近戸神社と呼ばれる、
赤城神社里宮が幾つか点在している。

ところで、『平成祭データ』記載の祭神、天之笠早命とはどなただろうか。
この並びだと、天照大御神の御子・五男神の一柱・天之菩卑能命の誤字だろうか。
『平成祭データ』でも当社にしか祀られてないのだが。

神仏習合の神社で、境内には宝塔、参道には鐘楼などがある。


鳥居

参道

神代橋と神門

境内

社殿

本殿

境内の社殿

神楽殿

境内の宝塔

参道の鐘楼

境内社、日枝社?

天満宮

境内に並んだ石祠

延喜式内
上野国十二社
二宮赤城神社
一、由来
 当社ハ、第十代崇神天皇ノ皇子「豊城入彦命」「大己貴尊」 ヲ始メトシ、数柱ノ神々ヲ祭神トシ、第十一代垂仁天皇、第十 二代景行天皇ノ時代ニ創建サレタト伝ヘラレル古社デアル。特 ニ、古代豊城入彦命ヲ始トシタ毛野氏ノ子孫上毛野氏ト深イ縁 ノアツタ社トモ伝ヘラレテイル。
平安朝初期ノ第五四代仁明天皇ノ承和六年(八二九)ニ従五位 下ニ叙サレテ官社トナリ、続イテ昇叙ヲ経、第六〇代醍醐天皇 ノ延長五年(九二七)ニ制定サレタ「延喜式」内、上野国十二 社中ノ名神大社トサレタ。第六八代後一條天皇ノ長元々年(一 〇二八)頃ノ上野国ノ国司文書中ニ、正一位赤城大明神、上野 国神名帳ニハ、上野国二宮赤城大明神ナドノ神位、神階ガ記録 サレテイル古名社デアツタ。第七〇代後冷泉天皇ノ永承四年( 一〇四九)ニハ、日本全国ノ諸社中ナラ五五社ガ選バレ、神仏 習合ノ勅願神社トナリ、当社モソノ一社トシテ、社域内ニ造塔 ノ折、心礎(根巻石)内ニ仏舎利(釋迦尊ノ骨片、現存)ガ奉 納サレテイタノデアル。
鎌倉時代ニハ征夷大将軍源頼朝ノ崇敬ヲ受ケ、建久五年(一一 九四)当社ナドノ修築ヲ、守護職安達盛長ニ命ジ、二宮太郎浅 忠、岡部九内忠成ラガ修築ヲ奉行シタリ、百石ヲ寄進シタト云 ウ記録モ見ラレル。戦国時代ニ小田原城主北條氏政ノ軍勢ニ依 ツテ、数多クノ建物ハ打壊サレ、壊滅的被害ヲ受ケ、宝物類モ 多ク失ナイ衰微シタ。天正十八年(一五九〇)北條氏滅亡後、 領主トシテ大胡城ヘ入城シタ牧野駿河守忠成、康成父子ヲ始メ ソノ後厩橋藩主トナツタ酒井氏歴代、江戸時代幕府ノ天領代官 藩主松平氏歴代サラニ住民ニ篤ク尊崇サレテキタ、ソシテ赤城 南麓地帯ノ関連神社ノ中心的役割ヲ果シテイタ。

−境内案内板より−


 創立年代は不詳。
 社伝では人皇十一代垂仁天皇の御宇に創建されたとつたえられていますが、この地は赤城山南面で赤城信仰の上で絶好の地点(西側には荒砥川、東側には粕川が流れていて共に赤城山を水源としている)で、大室の二子古墳をはじめとして多くの古墳が存在し、上野国の名族「上毛野氏」の本拠地と推定されていることは往古より信仰と共に栄えた証であります。
 赤城神社に関する文献の初見は「続日本後期」承和六年(八三九)で、上野国無位赤城神に従五位下が奉授された記事があり、以後「三代実録」では四回にわたり赤城神の神位昇授が記され、「上野国交替実録帳」には正一位赤城明神社とあります。
 平安後期には全国に「一宮二宮」の格付けがおこなわれはじめましたが、当社は上野国の二宮として(地名にもなり)現在に至っています。
 又、次のような伝説も有ります。
 あるとき、赤城の神が絹機を織るのに、くだが不足したので思案の末、貫前の神は外国から来て機織が上手であるから、持っているであろうと頼み、借りて織りあげた。
 そこでこのような技術をもった神が他国へ移ってはこまるので、赤城神社は一宮であったが、その地位を貫前神社に譲って二宮になったという話です。
 つまり貫前の神は帰化人の神であったと見ることができます。
 それにひきかえ赤城の神は上野国の土地に以前から住んでいた人々が祭っていた神です。
 そして、この頃は少なくとも赤城神社の方が貫前神社よりも広く一般から信仰され、崇敬が厚かったことを物語っています。

−『平成祭データ』−



【 二宮赤城神社 (前橋) 】

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