[HOME]  >  [神社記憶]  >  [東海地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


多賀神社
たがじんじゃ
静岡県熱海市上多賀山子宮脇741  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 伊豆國田方郡 白浪之彌奈阿和命神社

御祭神
伊弉諾尊 伊弉册尊

静岡県熱海市にある。
伊豆多賀駅の北東500mの上多賀に鎮座。
多賀港へ流れる大川の近くに南向き(南東かも)に境内がある。
熱海市市街地からは、海沿いの135号線を南下し、
多賀付近で少し西へ入ったところ。
境内入口は宮脇バス停になっている。

鳥居をくぐり、境内に入ると数本の
背の高い木が枝を広げ、影を落としていて涼しげ。
特に社殿左の大きなクスノキが立派だ。

境内奥に拝殿があり、後方に本殿がある。

創祀年代は不詳。

一説によると、往古、山中に山王の祠があった。
近世になり、日の御影と呼ばれる木像が浜に流れ着いたため、
山王の祠を、ここに遷し、伊弉諾尊伊弉册尊の二柱を祀ったという。
以後、日少宮(ひのわかみや)と称するようになった。
いわゆる、漂着神を祀る神社であったらしい。
なお、山中の旧跡には、影降石が残っているという。

伊豆国神名帳に記載されている
従四位上たんかいの明神、あるいは、従四位上多明神であると考えられ、
式内社・白浪之彌奈阿和命神社の論社でもある古社。

とすると、「山中の山王の祠」が本来の式内社ということになるが、
神名・白浪之彌奈阿和命は、明らかに海辺の神だと思う。

境内からは古代の祭祀遺跡が発見されている。

境内の案内石碑には巴紋が付けられていたので、
三つ巴が、当社の紋だと思う。

本殿の左右に境内社が二つ。
右の境内社には、以下の神々が祀られている。
天神社、日月社、山神社、水神社、八幡社、稲荷社、金山社、三峰社。
左の境内社は、未確認だが、祖子社かもしれない。


境内入口

境内

境内

本殿

本殿

磐座

多賀神社由来
一、所在地熱海市上多賀字宮脇
一、祭神伊弉諾尊(イザナギニミコト)
伊弉册尊(イザナミノミコト)
一、神社名の沿革
 本神社の由緒についてはあまり詳しくは解っ ていない 正徳年間(西暦一七一一)に近江(滋賀県) の多賀神社の祭神伊弉諾尊、伊弉册尊の二神を 勧請し、以後日少宮(ニノワカミヤ)と称し明治六年 に多賀大明神と改称するまで一六〇年間 日少 宮と唱えられていた
 一説に平安朝初期 延喜五年(九〇五)に延喜式 神名帳が制定され 宮廷の諸行事の規範ととも に神社の位階を定めて延喜式内社が制定された
 静岡県下における式内社は遠江国六十二社、 駿河国二十二社、伊豆国九十二社となっており その内伊豆国の田方郡は二十四座の式内社が 認められている
 この中に上多賀の神社として白波之彌奈阿 和命神社(シラナミノミナアワノミコトジンジャ)がある  これは日本神社の研究書として著名な大日本 史神祇志、特選神名牒、伊豆国式社考略、南豆神 祇志、豆州志稿、日本地理志稿、静岡県史の七書 において 上多賀の多賀神社であることを立証 している かつて昔白波之彌奈阿和命神社は 通称阿和神社としてまた多賀明神として縄文 弥生古墳時代の祭祀遺跡のある地 宮脇の聖地 に祭られ 古い伝承や神事があることなど多賀 の氏神として尊崇されてきた

−境内石碑−



【 多賀神社 (熱海市) 】

ボーダー




東海地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
愛知県

静岡県
伊東市
伊豆の国市
伊豆市
下田市
賀茂郡 河津町
賀茂郡 松崎町
賀茂郡 西伊豆町
賀茂郡 東伊豆町
賀茂郡 南伊豆町
掛川市
湖西市
三島市
周智郡 森町
駿東郡 清水町
駿東郡 長泉町
沼津市
焼津市
榛原郡 吉田町
静岡市 葵区
静岡市 駿河区
静岡市 清水区
田方郡 函南町
島田市
藤枝市
熱海市
磐田市
浜松市 中区
浜松市 西区
浜松市 北区
浜松市 天竜区
富士宮市
富士市
牧之原市

岐阜県
安八郡 安八町
安八郡 神戸町
安八郡 輪之内町
羽島市
加茂郡 東白川村
加茂郡 白川町
岐阜市
恵那市
高山市
大垣市
中津川市
飛騨市
不破郡 垂井町
揖斐郡 大野町
揖斐郡 池田町
揖斐郡 揖斐川町
養老郡 養老町

三重県
伊賀市
伊勢市
桑名市
志摩市
松阪市
多気郡 多気町
多気郡 大台町
多気郡 明和町
鳥羽市
津市
度会郡 玉城町
度会郡 大紀町
度会郡 度会町
名張市
鈴鹿市