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南宮大社
なんぐうたいしゃ
岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734−1  Zenrin Data Com Maps display !!


十六弁菊



三つ巴

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式内社 美濃國不破郡 仲山金山彦神社 名神大
美濃國一宮
旧國幣大社

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御祭神
金山彦命
配祀
見野命 彦火火出見命

『美濃明細記』『美濃国式内神社祭神記』
金山彦命 御野命 彦火々出見命
秘神として
罔象女命 埴山媛命

境内社 美濃国総社 数立神社
塩土老翁 あるいは 猿田彦命

岐阜県不破郡垂井町にある。
垂井駅の南西1Kmほどの場所。

琵琶湖を目指して運転中、高速が渋滞していたので、
下の道を走っている時、地図を見ていたら、
近かったので、寄ってみた。

さすがに、美濃国一宮。参拝客も多く、
境内は無茶苦茶広いし、アチコチに社殿や石碑が点在していて、
時間の経過を忘れてしまう。

21号線から、当社へ向かう道、JRの高架を越えたところに、
南宮山(中山、419m)を背景にした、大鳥居がある。
南宮山の北東麓に鎮座しているので、
鳥居の背後にあるのが、多分、南宮山だろう。

境内に入ると、楼門。その正面には舞殿。
朱の社殿が美しい神社。
上の写真は、横の門から撮影したもの。

創建年代は不詳。
社伝によれば、神武天皇即位の後、この地に祀り、
八咫烏を配祀して、東山道の要路を鎮めたもの。
その後、崇神天皇5年11月南宮山山上へ、その後現在地に遷座し、
国府の南、あるいは古宮の南であったため、南宮という。
古宮の場所は、現在、当社御旅所である南宮御旅神社と考えられている。

ちなみに、信濃の諏訪大社、伊賀の敢国神社、摂津の廣田神社も
南宮と呼ばれることがある。

また、天武天皇元年6月、野上の行宮に坐した頃、
当社へ戦勝祈願を行い、即位後、野上の宮殿を当社へ送ったという。

朱の社殿は、寛永19年徳川家光の再建。
当初、21年毎に式年遷宮が行われていたが、
応永年間からは51年毎。最近では昭和47年に行われた。

ところで、配祀の見野命について、
『日本書紀』には、豊組野尊(豐斟渟尊)の別名に見野尊が登場するが、
美濃國のの神、美濃国造の祖神ということかもしれない。

神紋は、現在は菊紋を使用しているが、昔は三つ巴。
境内の荒魂社などには、三つ巴の幕。
また、本殿の側面にも三つ巴が付いていた。

境内入口の側、駐車場の脇に数立神社がある。
旧称を惣社といい、美濃国総社とする説もある。


数立神社

数立神社

楼門のすぐ前の石橋は神様のものなので、
参拝客は、右手にある橋を渡る。

境内の中央に舞殿があるが、
舞殿が拝殿に近いのは、祭神が舞を御覧になるためらしい。
当然のことだが、神社は神のためにあるのだ。


大鳥居

境内入口

北参道神門

楼門と石橋

楼門と参拝者用石橋

境内中央に舞殿

社殿

社殿

本殿の左右に、二宮から五宮が並んでおり、
本殿の後方には、七王子神社があるが、よく見えない。
七王子神社祭神は、
大山祇神中山祇神麓山祇神 䨄山祇神正勝山祇神高靇神闇靇神


拝殿

本殿

本殿、後方に七王子神社

三宮・高山神社
(木花開耶姫 瓊瓊杵尊)、
五宮・南大神社
(天火明命)

二宮・樹下神社
(大己貴命)、
四宮・隼人神社
(火闌降命)

本殿背後

御由緒
 御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあたらせられる大神様であります。 社伝によれば、神武天皇東征のみぎり、金鵄を輔けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に 祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉遷され、古くは仲山金山彦 神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。
 御神位は古く既に貞観十五年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国三十九 座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預る大社に列せられています。天慶三年(940)、 平将門の乱の言朱伏の勅願や、康平年中(1058〜65)安部貞任追討の神験によって、正一位 勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の 有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。

御社殿
 現在の社殿は、天下分け目の関ケ原合戦の折、兵火にかかって炎上の為、再建を願う美濃国人の 只管なる念願と、この西濃に生い育った春日局(家光公の乳母)や、竹中伊豆守(竹中半兵衛の一 族)等の厚い崇敬心と相俟って、寛永十九年の秋九月、徳川三代将軍家光公の天下普請によって、 旧構のままに造営されたものであります。以来、歴代将軍の替わる毎に四百五石の朱印状を捧げて これを安堵し、また、五十一年目毎の式年遷宮をも、古式を護って、これを奉仕し続けて来たのであります。
 豪壮華麗なるこの朱塗の社殿様式は、正しく御神威を表徴する独自の社殿様式であり、世に 「南宮造り」とも称せられる名建築であります。寛永御造営の棟札を始め、膨大な造営文章六百 二十三冊を蔵し、これには明治維新の神仏判然令によって移築された堂塔をも含めて、細大洩らさず、 その経費が明示され、全国的にも極めて貴重な史料として、御社殿・石鳥居・石輪橋等十八棟と ともに国の重要文化財に指定されています。

−『平成祭データ』−



境内左手に、聖武天皇行幸曳常泉。
神仙界の霊気を常に引寄せる泉で、引常明神とも呼ばれている。
聖武天皇が大仏建立を願い、この霊泉を汲んだという。
また、北条政子が源頼朝の菩提のため、
ここに、南天竺の鉄塔を建立し、金水の和合を祈願した。

そのそばにある瓦塚は、社殿の古瓦で、
常世神である引常明神に捧げ祀ったもの。
瓦には三つ巴が付いている。

境内にはいくつかの境内社がある。
社号の石碑があるものもあるが、無いものもあって、
わからなかったので、わかるものだけ掲載。
他にも、以下の社があるらしい。
落合神社(素盞嗚命)、南宮御霊神社(護國の英靈)
市杵島神社(市杵嶋比賣命)、子安神社(保食神)、
吉葛神社(天吉葛神)、御田代神社(玉依姫命)

また、南宮山山頂には、高山神社奥宮(木花開耶姫 瓊瓊杵尊)。
北へ2Kmに、南宮御旅神社(金山姫命 配祀 豊玉姫命 埴山姫命)など。


石船社

金敷金床神社
豊岡姫命 蛭兒命

引常明神(前の石)と
湖千海神社,豊玉姫命


社名未確認

南天竺の鉄塔

瓦塚

往古本殿奉斎地に
伊勢両宮


東照宮,徳川家康

荒魂社,本社の荒魂

南宮稲荷神社,倉稻魂命


【 南宮大社 】

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