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敢國神社
あへくにじんじゃ
三重県伊賀市一之宮877  Zenrin Data Com Maps display !!


流れ巴

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式内社 伊賀國阿拝郡 敢國神社 大
旧國幣中社
伊賀國一宮

御祭神
大彦命 少彦名命 金山媛命
配祀 九所社 六所社

三重県伊賀市にある。
伊賀上野駅の東4Kmほどの一宮に鎮座。

25号線伊賀一ノ宮I.C.から少し南へ入ると、
境内入口に、「元國幣中社」の社号標が立っている。

参道は東へ延びているが、
北側の参道が裏参道。南が表参道。
表参道には赤い両部鳥居が立ち、
その東方向に、南宮山(350m)がある。

裏参道沿いには、大石社、神明社、子授け神、若宮八幡宮が並んでいる。
途中、階段があり、上に登ると、楠社。奥に結社。
結社は、縁結びにご利益があるらしい。
その位置からは本殿を見下ろすことができるが、
木々に遮られて、撮影はできなかった。

表参道には、芭蕉句碑と市杵島姫社。

手はなかむ音さへ梅の匂ひかな 貞享五年

創祀年代は不詳。
「敢國」と書いて、「あへくに」と読む。
阿拝郡に居住した、阿閉氏が祀ったと考えられ、
祭神は、その祖神・大彦命
孝元天皇の皇子・大彦命は、
阿部臣・膳臣・阿閉臣・狭狭城山君・筑紫国造・越国造・伊賀臣の祖。
阿閉臣は、大彦命の子・大稲輿命の子孫。
当社の北1Kmには、大彦命の墓と言われる御墓山古墳がある。

当社は南宮山の麓に位置しているが、
南宮山は、円融天皇貞元二年(977)、
美濃国一宮・南宮大社から、金山媛命を勧請したもの。
小冨士嶽と呼ばれる南宮山には、それ以前から磐座信仰があったと思われ、
当社の南400mには、大石明神と呼ばれる黒岩があった。

また、南宮山は、国見山とも呼ばれており、
織田信長の伊賀侵攻の折には、信長が南宮山に登り
国中の様子を観察したという。

また、『梁塵秘抄』には、当社を
「をさなきちごの宮」と記されており、
少彦名命祭神説もある。

さらに、当社は、一宮諏方社と記した記録もある。
当社のある伊賀国と山を隔てて甲賀があり、
甲賀の地頭であった、甲賀三郎が諏訪明神になったという話は有名
当社がこの地方の諏訪信仰の中心であったと考えられる。
諏訪明神を伊勢津彦神とする説もあり、
当地と諏訪との関係が興味深い。

そういえば、諏訪社も諏訪南宮と呼ばれる場合がある。

また伊勢国風土記で、伊勢津彦神が、神武東遷にともなって、
天日別命に国を譲れと迫られた時、初めに「不聞命」と命令を聞かず、
最後に「吾不居」と答えて、土地を去り国を譲るが、
この「敢」て国譲りした説話と当社社号は関係あるのだろうか。

境内右手には、桃太郎岩がある。
南宮山山頂の浅間社から遷された岩で、
安産にご利益があるらしい。

本殿の左右には、六所社と九所社。

境内社の祭神は、以下の通り。
大石社 不詳一座・須佐之男命金山比古命大日孁貴命大山祇命
神明社 天照大御神
子授け神 祭神不詳
若宮八幡宮 仁徳天皇
楠社 楠正成・藤堂元甫
結社 高皇産霊尊手間天神
市杵島姫社 市杵島姫命
六所社 伊弉諾尊伊弉册尊日神月神蛭児素盞嗚尊
九所社 祭神不詳
南宮山山上 境外社・浅間社 木華開耶姫命


鳥居

境内

拝殿

社殿から境内

本殿と手前に九所社

大石社

市杵島姫社

神明社

楠社

結社

子授け社

若宮八幡宮

桃太郎岩

一宮敢国神社略記

御祭神
大彦命 少彦名命 金山比咩命
御神徳
大彦命は第八代孝元天皇の第一皇子にましまして東北未開の地を教化の後、一族を率ゐてこの地に永住し給ひ、伊賀の国の開発に尽し給うた。伊賀開拓教化の祖神と仰ぎまつる所以である。
その後裔は阿部・阿閉・敢・名張・伊賀等を氏として諸国に繁栄し、世にアベ姓を称するものの総祖神にまします。殊に交通安全、健康長寿、児童愛護等の御霊徳を有し給ふ神にまします。
少彦名命は造化の三神である産霊神の御子神として神功の最も霊異なるによって普く知られ、大国主命と力を協せて国土経営に当り給ひ人畜救護の為に医薬・温泉・禁厭の法を創め酒造の道を開き給ふ等其の恩沢に浴するもの万世に尽くることがない。世に『ゑびす様』と称し商売繁昌、大漁満足、五穀豊穣の守護神にまします。だいこく様と共に福の神様として広く崇敬せられ神助を仰がるるも亦斯る霊験ましますが故である。又、 縁結び、安産の守護神として神社に縁結社、桃太郎岩の霊巌が祭祀されている。
金山比咩命は御名の如く金の神にましまして金銀銅鉄の本質及び其の運用を主宰し給ふ。即ち採鉱・冶金・機械工業其の他金属に関係ある一切の事柄に霊験を垂れ給ひ、人類生活の幸福利益を守護し給ふ。伊邪那美命の神々を産み給ひし時火の神の次に成りませる神にまします。
沿革
当社は古来伊賀の一宮として、朝野の崇敬頗る篤く、殊に当国の人々は総鎮守大氏神と仰ぎまつって其の霊徳に浴して来た。創立年代は詳でないが貞観の頃既に神階五位を授けられ、延喜の制には大社に列せられた。延長年間には朝廷から社殿が修造せしめられ、南北朝時代には、後村上天皇行幸ましまして数日間御参篭あらせられ、社領の御加増もあった。
天正年間兵燹に罹って一時荒廃したが徳川時代になって藩主藤堂家から社殿調度の修営・神器社領の寄進・祭儀神事の復興等が行はれ尊崇極めて深かった。明治四年五月国幣中社に列せられたが昭和二十一年二月官制廃止によって国家の管理を離れ現在は宗教法人として神社本庁に所属し氏子崇敬者によって維持経営されることになってをる。
丹塗の御殿は朝日夕日に映じ御神光燦として輝き神域の尊重さと祭神の御加護にその霊徳の尊さを伺はせしめられます。
御祭典
毎月一日 月次祭  四月十七日 春祭  十一月二十三日 秋祭
十二月四日 神幸祭  十二月五日 例大祭
古来例祭は 伊賀のおんまつり と称し遠近からの参拝者が多く大祭中最も盛な御祭である。
獅子神楽
一月三日 初舞祭  四月十七日 舞上祭
史蹟名勝
南宮山 当社の前方にある高峰で伊賀富士ともいひ、頂上に末社浅間社がある。金山比咩命の旧社地で四季共に眺望佳絶である。御墓山 当社の北方約壱粁佐那具町にあって東西約四十五米南北約百米といふ広大な前方後円の古墳である。御祭神大彦命の御陵墓と伝へられてをる。
参拝順路
関西線佐那具駅下車 約二粁 近鉄線上野市駅下車約四粁共にバスの便がある。

−『平成祭データ』−



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