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守山八幡宮
もりやまはちまんぐう
静岡県伊豆の国市寺家1204−1  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 伊豆國田方郡 石徳高神社
旧村社

御祭神
誉田別命 大山祇神 木花開耶姫命
配祀
氣長足姫命 武内宿禰命 大鷦鷯命 猿田彦命
合祀
平岡神 經津主神 武甕槌神 松川神
大山咋神 鹽土老翁神 宇迦之御魂神 市杵嶋姫神 瓊瓊杵尊 愛宕神

静岡県伊豆の国市にある。
伊豆箱根鉄道・韮山駅の南西1Km、
伊豆長岡駅の北西1Kmほどの寺家に鎮座。
136号線から少し西へ入った場所。
狩野川の側の守山中腹に境内がある。

境内入口は東向き。
入口の鳥居右脇には「守山八幡宮」と刻まれた社号標。
左脇には、「源頼朝挙兵之碑」が建っている。
つまり、当地は源頼朝挙兵の地。

階段を登ると、砂地の広い境内に
拝殿を兼ねた舞殿が一つ。
その後方に、上の社殿へ続く階段がある。

階段を登ると、正面に社殿。扁額には「八幡宮」。
拝殿の後方に、流造の本殿がある。
石の垣に囲まれた上の境内には、幾つか変わった形の石があるが
なにか謂れがあるのだろうか。

創祀年代は不詳。

往古は、狩野川を越えた当社の西にある大男山(雄徳山)
山頂に鎮座していたという。

昔は、狩野川は守山の東を流れていたらしく、
延喜年間に豊前国宇佐から八幡神を勧請、合祀。
後、源頼信の頃(平安末期)に、寺家に遷座。

江間の地に分祀された豆塚神社とともに
式内社・石徳高神社に比定されている。

かっては守山総社八幡とも称し
四條郷(上條、下條、中條、南條)の総社であったという。

『静岡縣神社誌』によると、
相殿に三島大神と浅間大神が祀られており
この三島大神が石徳高神社であるという。

社殿の左右にも、何かの祠があったような跡がある。
昔は境内社が祀られていたのかもしれない。

『静岡縣神社誌』には、境内社として六社合祀の祠が記されており
枚岡神社・香取神社・鹿島神社・松尾神社・松川神社・塩釜神社とともに
若宮八幡社が祀られているとある。


社域

境内入口

下の拝殿(舞殿)

舞殿後方に階段

拝殿

階段上から

社殿

社殿

境内の石

社殿

舞殿(上から)

史蹟 源頼朝挙兵之碑
源頼朝 治承四年 (一一 八〇) 八月十五日守山八 幡宮に平家追討を祈願して 挙兵 夜陰 源氏重忠の軍 兵数十騎 山木判官平兼隆 を襲い討つ 其の間 頼朝  遥かに山木館の火煙を望 み 悲願の達成を悦ぶ 蓋 し鎌倉幕府草創の礎はここ に於て成ると 故に記して 建碑の所以とする

−境内入口石碑−



當社の創建は大化三年(六四七) 御祭神は大山祇神で延喜式内 石徳高神社である
延喜七年(九〇七)豊前国宇佐宮 より八幡神を勧請合祀其の後 専ら伊豆国総社八幡と稱す
治承四年(一一八〇)源頼朝此處 に源家再興を祈り兵を挙げる
現在の本殿は寛永九年(一六三 二)久能城主榊原大内記照久の 造営である


−拝殿由緒書き−



【 守山八幡宮 (伊豆の国市) 】

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