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蜂前神社
はちさきじんじゃ
静岡県浜松市北区細江町中川9615  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 遠江國引佐郡 蜂前神社
旧郷社

御祭神
熯速日命
左脇宮 甕速日命
右脇宮 武甕槌命

静岡県浜松市細江町にある。
JR金指駅の南2Kmほどの中川に鎮座。
257号線を南下し、都田川を越えて交差点を通過後に
西へ入る道を進むと、公民館のような建物の奥に境内がある。

入口の鳥居は、あまり大きくはないが、境内の懐は深い、
そんな印象の境内。
参道を歩くと、境内後方へ登る階段があるので、
後で登ってみることにして、境内へ。
数段の階段を登ると、正面に拝殿があり、
社殿の左側に境内社が幾つか並んでいる。

拝殿後方の本殿は、覆屋の中。
拝殿の中をのぞくと、奥に本殿があり、
左右に脇宮の祠も確認できる。

社殿の後方の丘の上に、祠らしきものが見えるので、
先ほどの、参道入口にある階段まで戻って、登って見ると
覆屋の中に、小さな祠が祀られていた。

社伝によると、応神天皇十一年三月八日、
八田毛止恵という者が、勅命により、遠江国へ下向し、
八田(祝田の古名)の45町、
広田(刑部の古名)の70町、
岩瀬(瀬戸の古名)の8町3反、
合せて123町余りを開墾し、
八ケ前の地に勧請し、蜂前神社と称していたという。
以後、八田毛止恵の子孫が祝部として奉祀を続けていた。

また、左右の脇宮2社は允恭天皇の御代の勧請といい、
その頃から、鳥飼明神、羽鳥明神と呼ばれるようになった。
三代実録には、「遠江国鳥飼神」に従五位下の
神階が授けられてとある。

本殿には、熯速日命を祀る。

本殿の左右の脇宮祭神は、
左脇宮が、甕速日命を主祭神に、
天忍穂耳命蛭児命大己貴命少彦名命天穂日命を合祀。
右脇宮が、武甕槌命を主祭神に、
國狭槌命石凝姥命市杵島姫命大山祇命を合祀。
ただし、この「左右」が本殿から見た左右なのか、
本殿に向かって左右なのかは不明。

社殿左手に並ぶ境内社は、
八幡社・玉津嶋明神社・若宮社・仲宮姫命社・豊受姫命社。

参道入口にある、境内後方の丘へ続く階段の側に八田祖命神社。

他に、鳥居の側に小さな祠と、
丘の上の祠の2つが祀られているが社名は確認できなかった。

『静岡県神社志』には、上記の境内社の他に、
天王神社と乳於毛命神社の2社が記されており、
『平成祭データ』には天王神社のみが記載されている。
たぶん、丘の上の祠が天王神社だと思うが、
もう一つの境内社・乳於毛命神社は、なんと読むのだろう。
面白い名前だ。


境内入口

社殿

境内

拝殿

本殿覆屋

拝殿から本殿、左右に脇宮が確認できる

境内後方の丘の上にも

祠がある。天王社か?

蜂前神社の由来
祭神本社熯速日命
左脇宮甕速日命
右脇宮武甕槌命
由緒
十五代應神天皇十一年庚子三月八日(西暦二七〇年) に八田毛止惠と云う人が勅命によって遠江國に 下向して 八田(祝田村の古名)四十五町 廣田(刑部村の古名)七十町 岩瀬(瀬戸村の古名)八町三反  合計百二十三町余りを開墾して本社を八ケ前に 勧請して蜂前神社と斎き奉り子孫代々 祝部として奉仕しました
脇宮二社は十九代允恭天皇の御代に勧請され  その頃から社号は鳥飼神社、羽鳥大明神と 稱へられ延長五年(西暦九二七年)蜂前神社と 改め古名に復しました 延喜式神名帳に記載されている式内社で あり旧社格は郷社であります

−境内案内板より−



【 蜂前神社 (細江町) 】

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