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御嶋石部神社
みしまいそべじんじゃ
新潟県柏崎市北条304−1  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に二つ引

式内社 越後國三嶋郡 御嶋石部神社
旧村社

御祭神
久斯比賀多命 追祀 武甕槌命

柏崎市北条駅の近くにある。
入口がわかりにくいが、ちょっとした丘の上に社殿。

「鹿嶋大明神」と呼ばれ、同じく北条にある石井神社と区別して
大鹿嶋と呼ばれている。

入口の鳥居扁額には「御嶋石部神社」とあり右肩に「鹿嶋大明神」。
参道の鳥居には「鹿嶋大明神」のみ。
拝殿扁額では、「鹿嶋大明神」とあり右肩に「御島石部神社」とある。

当初は、北条の南の「八石山」山麓の石部平(大場山)山頂にあり、
現在は「神倉」と呼ばれる塚があるらしい。
また、山中には鹿島神宮同様「要石」という大石もあるらしい。

その後、現在地の裏山に遷座し、
昭和四十一年、信越本線改修にため、現在地に遷座した。

式内社・御嶋石部神社の論社。
現在は鹿嶋社として崇敬されているが、
武家時代に武甕槌命が配祀されたため。
また、ミシマがカシマと伝わったという説もある。

祭神は久斯比賀多命
久斯比賀多命は、事代主命の御子神で、石辺公の祖神。

拝殿内に桐紋の幕があったが、社殿の屋根には引両紋。


鳥居

参道の鳥居

稲荷社

境内

社殿

拝殿

拝殿の額

本殿

本殿

 新撰姓氏録に、「石邊公大物主命久斯賀多命之後也」 とあり、水島磯部神社(頸城郡)、桐島石部神社(古志郡) と同神。当社蔵『越後國式内考』(写本。天明『越後式内神社案内』と前後の頃の作か。見返しに「○此 丸吉門印書」とあり、当社の五十嵐吉門<寛政―元治>が要所に○印及び書入れを加えたもの、虫喰い甚しい)の御嶋石部神社の條 には、祭神武甕槌命とある。社伝は武家時代に配祀されたとするが、その因由は明らかでない。
 鎮座地の古字清水尻は、八石山麓で、石部平と 称した。本社本宮はこの石部平(通称大場山)山頂にあり、 四〇〇年前、現在の裏山に移転し、さらに昭和四十一年、 信越線改修のため、五〇メートル前方に移った。
 本社拝殿内制札によると、天明三年(一七八三)、近郡式内号の 社議決について、吉田家の裁許を得、天明四年五月十四日よ り十九日迄吉田家免許神道大会を勤めたこと、社家五十嵐 の前姓三輪氏であつたこと、組三輪頼明より三輪吉安迄数 代、其後中絶のところ、文亀年中(一五〇一−〇四)、五十嵐 小文治、蒲原郡下田庄より落居上洛の途次、当社に寄寓し て家系を嗣ぎ、三輪を改めて五十嵐姓としたこと、五十嵐 小文治請来の社宝数々を伝承することなどを記してゐる。

−『式内社調査報告』−



【 御嶋石部神社 (北条) 】

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