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八幡穂見神社
はちまんほみじんじゃ
山梨県中央市布施2034  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 甲斐國巨麻郡 穂見神社
旧郷社

御祭神
誉田別命 倉稻魂命

山梨県中央市にある。
JR身延線・常永駅の南西1Km、小井川駅の北西1Km。
3号線と身延線に挟まれた布施に鎮座。
狭い道の奥に、南向きの境内がある。

参拝は11月の休日、午後。
陽が傾きはじめ、そろそろ本日の参拝も終わりにしようと
その日、最後に立ち寄った神社。
午後の神社は、木々の間から差し込む西日が
妙に淋しげな雰囲気を醸し出す。
というか、逆光になる場合が多く、
撮影にも向かないのだが、当社のように
境内も社殿も南向きだと、問題無いのだが。

社前にかかる小橋を渡って境内へ。
橋の傍らには、「八幡穂見神社」と刻まれた社号標。
参道に鳥居が立ち、神門の奥、
境内中央に社殿がある。
木々は、すでに枯葉に成り始めており、
境内には落ち葉が敷き詰められようとしていた。
こういう枯葉の境内は、
歩くたびにサクサクと音がして気持ちよい。

拝殿の後方にある流造の本殿は、
県指定有形文化財。

創祀年代は不詳。
後花園天皇の文安六年(1449)の棟札に、
穂坂小次郎によって再建とあり、
六条天皇の仁安元年(1166)造立と
記した棟札もあることから、
12世紀以前のは存在していたと思われる古社。

布施郷の総鎮守であり、
式内社・穂見神社の論社の一つ。

祭神は、八幡宮としての誉田別命
さらに、倉稻魂命を祀るのは、八幡宮同殿に祀られている
御崎明神の祭神としてだろう。
『甲斐国志』には、上三ノ條村から御崎明神を勧請したとあり
御崎明神=穂見神社と見ているならば、
当社が式内社ではないことになる。

神門や拝殿の屋根には、三巴紋が付けられていた。
八幡系の神社なので、巴紋が神紋なのだろう。

『明治神社誌料』には、
境内社として道祖神社が記されているが、
境内には見当らず。
ただし、境内入口の小橋右手(境内の外)に
小さな石の祠がある。


境内入口

神門

境内

拝殿

本殿

県指定有形文化財
八幡穂見神社本殿
昭和四十年五月十三日指定
中巨摩郡田富町二〇三四
八幡穂見神社所有
八幡穂見神社の創建は明らかでわないが、 古来布施郷の総鎮守として崇敬されてきた。 「甲斐国志」は、仁安元年(一一六六)の 棟札の存在と文安六年(一四四九)穂坂小次郎 光重の再建を伝えている。現存する棟札によれば、 寛文十一年(一六七一)以後数度の修理が 行われたことが知られる。
本殿は、二間社流造、桧皮葺で、隨所に和様、 宋様、天竺様の手法が混用された折衷様式であるが、 再三の修理によって本来の形態を損なっていたため、 昭和四十七年に解体修理を行ない、復原した。 古い建築の少ない甲府盆地の低湿地帯における 桃山風の様式を伝える貴重な建物である。 なお、当神社には旧石鳥居の額束の背面に 刻り出された本地仏(梵字の阿弥陀如来) が保管されているが、八幡信仰を研究する 上から貴重な資料といえる。


−境内案内−



【 八幡穂見神社 (中央市) 】

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