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氷銫斗賣神社
ひがのとめじんしゃ
長野県長野市稲里町下氷鉋字田中島1092  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 信濃國更級郡 氷鉇斗賣神社
旧郷社

御祭神
宇都志日金拆命
配祀 建御名方命 八坂刀賣命

長野県長野市にある。
信越本線・長野駅の南5Kmほどの下氷鉋に鎮座。
犀川にかかる丹波島橋を南下し、117号線が35号線を交わる
下氷鉋の交差点を西へ300mほど進むと参道入口。

民家と田圃の間に参道があり、参道入口には
「延喜式内氷銫斗賣神社」と刻まれた社号標。
参道の中ほどに木製の両部鳥居があり、さらに進むと
石の垣に囲まれた境内。

境内は、一見広い砂利の駐車場だが、
境内左手には、新しい社務所兼公民館。
境内の奥、北側に社殿が並んでいる。

瓦葺入母屋造の拝殿の左手には、
立派な社殿の境内社、津島社(須佐之男命)があり、
津島神社の左手に石祠の伊勢社(天照皇太神)。
拝殿背後の本殿は、覆屋の中にあり確認できなかった。
その覆屋の右手には八幡宮(誉田別命)と幾つかの庚申の石祠があり
左手には小さな天満宮(菅原道眞)。
他にも養蚕社(保食命)なども祀られている。
資料には秋葉社(迦具土命)の名も載っていたが確認を忘れた。

参拝は秋の日の午後。
参道右手には黄金色の稲穂が風にうねっていた。
『式内社調査報告』に載っている数十年前の写真では
参道の両脇が田圃だったようだ。
いつか、右側の田圃も無くなってしまうのかな、
などと思いながらの参拝。

社号「氷銫斗賣」は「ひがのとめ」と読む。
は「かんな」と読み、と同じ文字で、
鎮座地名は鉋の文字を使い、
地図や資料にも当社は「氷鉋斗賣神社」とあるが、
当サイトでは、社号標や鳥居扁額の「氷銫斗賣神社」を用いる。
余談だが、銫はセシウムとも読むらしい。

創祀年代は不詳。
式内社・氷斗賣神社(ひがなとめのじんじゃ)の論社。
元来氷鉋村は、上中下の三村に分かれ、
下の社は氷銫斗賣神社と称し、上中の社は諏訪社と称していたらしく、
式内社としては、上氷鉋の諏訪社(更級斗女神社)と
下氷鉋の当社が論社となっており、当社の方が有力。

当社の鎮座する川中島一帯は、永禄年間より戦場と化し
住民は離散し、荒涼とした地となり、
さらに、寛保二年(1742)八月、犀川・千曲川の氾濫により
当社も流出し、当社の古記録は残されていない。

当社の主祭神は宇都志日金拆命(うつしひがなさくのみこと)。
当社社号「ひがなとめ」からこの神号が出たという説がある。
宇都志日金拆命は綿津見神の御子で、阿曇連等の祖神。
ただし、斗賣は通常女神であるため、
同じく綿津見神の御子で安曇宿禰の祖であり
宇都志日金拆命と同神とも考えられる
穂高見命の妃か妹を祀るとする説もある。

明治六年四月、郷社に列した。

拝殿の瓦に梶紋らしき紋が付いていたがハッキリわからなかった。
配祀に諏訪神が祀られているので、
当社の神紋が梶紋であったも不思議ではないが。


参道入口

鳥居

境内入口

社務所兼公民館

境内

伊勢社と津島社

拝殿

本殿左の天満宮

本殿覆屋

本殿右の八幡宮

養蚕神


【 氷銫斗賣神社 氷鉋斗賣神社 (長野市) 】

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