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笠屋神社
かさやじんじゃ
山梨県南アルプス市小笠原469  Zenrin Data Com Maps display !!


三階菱

式内社 甲斐國巨麻郡 笠屋神社
旧村社

御祭神
事代主命

山梨県櫛形町(現南アルプス市)にある。
南アルプス市役所の近くで、52号線(身延道)にも近い町の中に鎮座。

春の参拝。境内は桜が満開だ。

社殿は新しく、境内も綺麗。
全体的に落ち着いた色調で、市街地にある古社といった感じ。

創立年代は不詳。
式内・笠屋神社の論社として参拝したが、
案内板の説明では、そうであると主張しているようにも見え、
そうでもないようにも見える。
『式内社調査報告』では、当社の記述は見られない。

天文年間、当社の北を流れる大和川洪水のため
社殿は流出し、河原となったという。

当社境内に、「御所天神」という祠がある。
参拝当日は修築中らしく、青いシートに被われていた。
当地を「御所庭」といい、小笠原長清公の館跡と伝えられているが、
大正時代に、小笠原小学校移転新築の際に、天神宮跡が発見され
ここにお祀りしたもの。

当社の神紋も、小笠原氏の家紋。


鳥居

神門

桜咲く境内

拝殿

背後から社殿

本殿

本殿

天照皇大神宮

御所天神

 笠屋神社の由来
 鎮座地は、小笠原的場四六九番地。祭神は、 事代主命大鷦鷯命である。
 起源はつまびらかでないが、延喜式に「巨摩 郡四社の一を笠屋神社とす」とあり、それ以前 に勧請したものであろう。また、天文年間大和 川洪水のため流亡して河原となった等の言伝え もあるという。
 三輪明神の御幸祭は、往時より旧上宮地・小 笠原・下宮地の三カ村合同の公祭で西御幸とも 呼ばれこの地方の春の大祭だが、そのおり神輿 は、小笠原長清公館跡の「御所庭」に立寄り饗応 の式が行われたというが、いつのころからか笠 屋神社に立寄るようになっている。また神社の 所在地である「的場」も、右の御所庭につづく東 隣りにあり弓馬礼法などの師範だった小笠原氏 との関係も考えられ興味ぶかい。
 なお、社紋は小笠原氏の家紋である三階菱が 掲げられている。

−境内案内板より−


笠屋神社社記
鎮座地中巨摩郡櫛形町小笠原的場四九六番地
社名笠屋神社
祭神事代主命
神紋三蓋菱
祭日一月一日元旦祭
四月由縁日例大祭
神輿渡御
舞殿にて浦安の舞奏上
十月十五日秋の例祭
十一月十五日七五三
由緒 御祭神事代主命は 大国主命の御子と座し座し大神の神威は 種々の産業の祖神であり五穀豊饒 商業繁栄の神として尊崇され 殊には 神代の昔 主領ける国土献上等国体の本義の 根源たるものとして 仰ぎ尊とばれてる。
皇紀二千三百三十二年延宝年間三百十年 前に建立産土神として奉斎されたと言う
旧本殿は檜皮葺であったが年を経て腐朽 甚だしく昭和四十二年四月再建された。

−同じく境内案内板より−



【 笠屋神社 (南アルプス市) 】

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