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足高神社
あしたかじんじゃ
岡山県倉敷市笹沖字足高1033  Zenrin Data Com Maps display !!


七枚笹龍胆

式内社 備中國窪屋郡 足高神社
旧県社

御祭神
大山津見命
配祀
石長比賣命 木之花佐久夜比賣命

岡山県倉敷市にある。
倉敷駅の南4Kmほど、2号線の南にある足高公園の山頂部。
公園への入口はいくつかあるようだが、
僕は西側の入口から車を進めた。
途中、鳥居らしきものがあったが、
とにかく境内の近くへ。
境内の北側にある駐車場に車を停めて、参拝開始。
社殿は南向きで、参道階段も南にあるので、
南側に回って、階段を登ったが、
駐車場脇の道から、社殿のすぐ側まで行くことはできる。
参拝は、年末、大晦日の早朝。
まだ日の出前なので、境内は暗い。

階段の右脇には、「帆下宮」と刻まれた社号標。
階段を上り、振りかえると、
山の稜線から、いままさに日が昇る瞬間。
一日早い初日の出が昇りきるまで、階段上でジッと眺めていた。

階段を登ると、屋根の付いた参道の先に社殿。
拝殿の後方、垣の中に本殿がある。

本殿の後方には、雑然とはしているが磐座もある。

社伝によると、人皇第十代崇神天皇の御代に勧請された古社で、
足高の社号は、葦が生い茂っていたことに由来する。
近世中期には、葦高宮、芦高宮とも記され、
また、葦高八幡大菩薩とも呼ばれていたという。

鎮座地である足高山は、古代は島であり、
奥津島山、あるいは小竹島と呼ばれていたという。

万葉集に、
「夢耳継而所見小竹島之 越磯波之敷布所念」
とある小竹島が当地のことと考えられているらしい。
当時、小竹島の周囲は急流であったため、
往来する船は、みな、帆を下げて神拝したといい、
ゆえに、当社は、「帆下の宮(ほさげのみや)」と称されている。

祭神は、大山津見命で、娘神二柱を配祀する。
一説には、葦那陀迦神であるとする。

社殿の周囲には、磐座の他にもいくつかの境内社。
境内右手から、金刀比羅社、石上社。
少し奥まって、水分社。
磐座の左横に稲荷社。
境内左には、学問の神様・顧眄(こべん)社。

当社の神紋は、七枚笹龍胆紋。
その由来はわからないが、笹龍胆紋は源氏ゆかりの紋であり、
源氏の氏神・八幡神社にも見られる紋らしい。
当社が八幡宮と称していたことと関係あるかもしれない。


参道階段

階段上の社殿

階段上から大晦日の夜明けの倉敷市街

拝殿

本殿

顧眄(こべん)社

稲荷社

磐座

稲荷社・磐座

水分社・石上社・金刀比羅社

延喜式内社足高神社(帆下げの宮)由緒書
ご祭神 大山津見命(神階は正四位上で元県社)
配神石長比売命
木之花佐久夜比売命
大山津見命は国土御守護の御神で土上に繁殖する五穀は基より人類 草木金銀何によらず一切の物を守り給うのでその功徳の広さは大きな 山を積み重ねたる様でその御名がついたと言われます。石長比売命は寿命 御守護の御神で人の寿命を堅磐常磐に長久する様にとその御名が ついております。木之花佐久夜比売命は熱の病を治せられ給う御神でその名 の通り櫻の花の様にやさしく美しく安産の御神でもあられます。
鎮座 現存する神社記録の最古の書は平安時代醍醐天皇九二七年(延長五年)に編 さんされた延喜式神名帳です。式内社とは延喜式内社の略称です。延喜式 は国家行政の基本的施工細則でありその第九・第十巻が神名帳で これには当時の代表的な神社二千八百余を全国にわたって例載しています。 これらはいわゆる官社でいづれも国家の宗祀とあがめられ神社信仰の中心で この書の中に足高神社は記載されており備中十八社の一なる最古社であります。 ご鎮座の年代は人皇第十代崇神天皇の御代に勧請され今から約二千年前です。
ご社号 天保年間迄は葦がおい茂った中に奉斎していた意もあり葦高神社と書いており ましたが延喜式神社名帳には足高神社とありますので以後書き改めております。 又、一時期葦高八幡大菩薩として奉斎されその姿は”酒津八幡宮””老松八幡宮”に ご分霊となって現今継承されております。
皇室との
関係
・寛和元年花山天皇の御代に足高神社神宮寺神遊山神宮寺遍照院に三重塔の建立あり。
・乾元元年後二条天皇の御代足高八幡大菩薩の勅額のご下賜。
・延慶元年三月花園天皇の御代勅額と獅子頭一対をご下賜。
・天暦元年二月十六日村上天皇は藤原兼成卿を使わして奉幣御祈願の儀あり。翌三年不思議な霊験 あり神殿をご造営になり有紋の御幕勅書を御奉納。
武将の信仰 ・天授九年八月九州探題として赴任の今川貞世公は海路の安全を祈願され高麗狗を奉納。
・徳川時代備前池田公の支藩鴨方池田氏の祈願所として尊信せられ世継の際は代々必ず参拝がありました。
帆下げの宮
とは
足高山は四百年前は海中に浮かぶ一孤島であり小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の児島、 奥津島とも呼ばれ東西航行の要路でありましたが潮流の動きが激しく通る船 はすべて帆を下げて山上の神に敬意を表し危難を逸れた為足高 神社を帆下げの宮と称してあがめ奉りました。

−社殿前案内板(一部不鮮明部分を『平成祭データ』にて補完)−



【 足高神社 (倉敷市) 】

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