[HOME]  >  [神社記憶]  >  [中国地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


那賣佐神社
なめさじんじゃ
島根県出雲市東神西町842  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に高

式内社 出雲國神門郡 那賣佐神社
旧郷社

御祭神
葦原醜男命 配祀 須勢理姫命 大物主神
合祭
伊邪那岐命 誉田別命 息長足姫命 武内宿禰 他十五柱

合祀 式内社
出雲國神門郡 同社坐和加湏西利比賣神社

神西湖の南東、JR出雲神西駅の南1.5Kmの場所。
神西城址のある「高倉山」に鎮座している。

高倉山の南を走る道路(広域農道?)に鳥居があり、
階段を上ると境内があり、さらに5分程上ると、神西城址。
当社が、神西城址への登山口の一つとなっている。
神西城は、「龍王山竹生城」ともいい、
神西氏十二代三百五十五年間の居城であった。
登山口は、他に十楽寺、光成の2箇所にある。

出雲国風土記には、「奈賣佐社」と「那賣佐社」とがあり、
どちらかが当社・那賣佐神社で、
もう一つが合祀されている和加須西利比賣神社にあたる。

出雲国風土記では、
葦原醜男命素盞嗚尊の御子である須勢理姫命を娶り
通っていた社の前に磐石があり、その上が滑らかであったので、
「滑磐石なるかも」と大神が言ったのが、滑狹郷の名の起こり。
その滑磐石は、当社の東南500mほどの川の中にあるらしく、
そのあたりに和加須西利比賣神社が鎮座していたという。

明治五年に郷社に列したが、昭和の初め
神殿内の神鏡に、ご神体が映るという評判がたち
近郷からの参拝で賑わったという。

主祭神の葦原醜男命。配祀の大物主神は葦原醜男命の別名。
配祀の須勢理姫命は、和加須西利比賣神社の祭神。

伊邪那岐命は、合祀されているとされる出雲国風土記「波加佐社」の祭神。
ただし、今は佐伯神社として再興されている。
なお、境内社に伊邪那岐命社という祠がある。
ひょっとすると、この社が元「波加佐社」なのかもしれない、が未確認。

誉田別命以下三柱は、合祀された神西八幡宮の神々。

参拝時には、参道の修復中で、工事関係者の方が数名いて、
作業の最中だった。

高倉山にあるので、高倉明神ともよばれる。
よって、神紋は、高の字を使用している。
「高倉さん」と呼ばれていた時期の方が長いのだろう。


鳥居

参道の階段

参道の階段

社殿

神西城址登り口

境内

本殿

本殿

伊邪那岐命社

那賣佐神社
御祭神葦原醜男命
須勢理姫命
 大国主命の又の名を葦原醜男命と申し上げ その后神は須佐之男命の御子でこの里の岩坪 で生誕せられたという須勢理姫命であります。
 紀元七三三年天平五年に編纂された出雲国 風土記によれば御祭神御夫婦が仲睦しく岩坪 の宮殿でお暮しになっていたとき、或る日社前 の渓流が岩苔の上をなめらかに流れているの をご覧になって「滑し磐石なるかも」と仰せ られた「まねしいわ」「が約って「なめさ」と なり、この地方を滑狹郷と称するようになっ た記録があります。
 又これより約二百年後の、延喜式神名帳に当 社は神祇官に登録してある神門郡二十七座の 内にあり、これを式内社といいます。
 享保年間の雲陽誌んいは高倉明神とあり高倉 山に鎮座せられているところから通称「高倉 さん」とも称し、明治五年には社格郷社に列 せられるなど洵に由緒深い神社であります。

−社前案内板−



【 那売佐神社 那賣佐神社 】

ボーダー




中国地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
鳥取県

島根県
安来市
隠岐郡 隠岐の島町
隠岐郡 海士町
隠岐郡 西ノ島町
隠岐郡 知夫村
雲南市
益田市
江津市
出雲市
松江市
仁多郡 奥出雲町
大田市
浜田市
邑智郡 美郷町
邑智郡 邑南町

岡山県
井原市
岡山市
加賀郡 吉備中央町
笠岡市
玉野市
高梁市
小田郡 矢掛町
真庭市
瀬戸内市
赤磐市
倉敷市
総社市
津山市
備前市
美作市

広島県

山口県