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穴門山神社
あなとやまじんじゃ
岡山県高梁市川上町高山市1035  Zenrin Data Com Maps display !!


銀杏

式内社 備中國下道郡 穴門山神社
旧県社

御祭神
天照大神 倉稻魂神
合祀 足仲彦命 穴戸武姫命

岡山県高梁市にある。
備中高梁駅から西へ30Kmほど。
広島県との県境に近い川上町高山市に鎮座。
313号線を西へ、299号線、77号線と進み
弥高山の近く。

舗装された車道を進むと鳥居があり、神域の森へ、
参拝は年末の30日。
周囲の雪は、すでに消えていたが、
森の中には、まだまだ残っている。
雪の中をソロソロと進み、広い場所に車を停めて参拝開始。

参道を進むと、緩やかな階段の上に門があり、
門をくぐると社殿が並んでいるが、
この門は、たぶん、境内横から入る門。
神門は、その階段を上らずに、少し下った場所にある。
神門をくぐり、上を見上げると社殿の屋根が見え、
崖の途中に、ワサワサッと茂った木があるが、
これが御神木のカツラの木のようだ。

階段を上り、社殿の前に到着。
拝殿の後方に流造の本殿があり、
左手には、石灰岩の岩にあいた洞窟、御神窟がある。

案内によると、奥行きは100mほど在るらしいが、
入口からのぞいても、奥は良くわからない。
一般参詣者は、この入口で参拝するとあり、
入ってはいけないのだ。

通称は、名方浜宮、赤浜宮。
崇神天皇五十四年に、皇女・豊鋤入姫が勅を受け
天照大神の鎮まります宮地を求めて
紀伊国奈久佐浜宮より備中国名方浜宮(当社)へ奉遷し、
四年間、御神窟の中に奉斎したという。

ただし、名方浜宮の論社は幾つかあり、
当社は、その一つ。

また、当社は式内社・穴門山神社の論社でもある。
穴門山の社号は、その名の通り境内左の御神窟によるものだと思うが、
他に、当地から瀬戸内海(穴海)が見えるという説がある。

御神木のカツラは、仲哀天皇二年三韓征伐の際、
当社に戦勝祈願をした時、「カツラ」木の名が
祈願樹として縁起が良いと手向け給うたという。
御神木は、カツラの他に大杉もあり、
『神紋』によると、銀杏の木も御神木であるために
当社の神紋は銀杏なのだと記されている。

本殿右手の境内社は、詳細は判らないが、
『平成祭データ』には以下の四社の名前がある。
須佐之男神社、弥高山神社、天神社、丸石神社。

大正九年の『川上郡誌』には、以下の七社が載っているらしいが、
これには御神窟前や内部の祠も含まれているのだろう。
日少宮社、外山神社、玉井神社、山神社、
瀧祭神社、三和神社、磐屋神社。


参道入口の鳥居

境内



社殿

雪の境内

神門

神門から見上げるカツラ

拝殿

本殿

本殿と境内社四社

御神窟

入口は結界

内部

式内社 穴門山神社
 式内社とは、延喜式の巻九および巻十の「神名帳」に列する神 社のことで、社格を権威づける官社となっている。延喜式は平安 後期の延長五年(九二七)に撰上され、五十巻から成り、朝廷の 儀式、行政の実施に関する規範である。当社は延喜式巻十に、備 中国十八社の中にその名があげられ、朝廷崇敬の神社であったこ とは事実である。
 創立は崇神天皇五十四年と言われているが、延喜、延長の時代 はこの神社は、備中国下道郡長田山と記されており、その地名に まつわる神々の伝説も多い。
 倭姫世記という古書によると、崇神天皇から、天照大神のご神 体である御鏡を、「何処へおまつりしたらよいかさがしてこい」と いう命を受けた豊鋤入姫命が、紀伊国奈久佐浜宮より備中国名方 浜宮(現在の穴門山神社)へ奉遷し、四年間奉斎したと記されて いる。朝廷の当社に対する崇敬のあつかったことがうかがえる。
 祭神は、天照大神倉稻魂大神豊受大神ともいう)そして日本武尊 の第二王子足仲彦命、吉備武彦命の娘で日本武尊の妃であ る穴門武姫命の四柱を併祀している。
 社殿は寛永九年(一六三二)秋焼失したものを、備中松山城主 の池田出雲守長常が、寛永十四年(一六三七)再建寄進した。権 現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚、虹梁、支輪、斗栱組 みで装飾性が高く、余り県下にその例がなく県指定である。
 まわりの社そうは、県指定の天然記念物であり、昭和五年十月 京大、田代善太郎先生の調査によると、四三八種の植物が記録さ れており、その種類の多いので注目されている。神木のカツラは 樹齢推定七〇〇年、株周囲八・九三メートル、樹高三〇メートル。
 神木は本門そばの石段上の大杉と境内崖下のカツラである。

−境内案内板−



御神窟
 洞窟の地学  この洞窟は奥行一〇〇メートル、最大内径一〇メートルの吐出 型水平型である。石灰岩の中に出来た板状の割目を伝う地下水が 岩を溶かして出来たものである。このあたりの吉備高原は今から 数百万年前頃は、海面に近い土地であったが、一帯は隆起を繰り 返して現状の標高になった。隆起の過程でだんだんと地表の水の 侵食で、下に下にさがったために、洞窟は高さを増していく。底 の平たいのは隆起による一時休止期を示す。また、穴幅の狭さ、 鍾乳石の無かったりするのは、地下水の量や流れの方向に変化が 起ったものと思われる。
 洞窟の内部  洞窟の入口の中央には、入口をふさがんばかりの球形の巨岩が でんと座っている。それは遠い昔の神話にある天の岩屋、天の岩 戸に似て、その岩戸を押し開いて天照大神をお連れ出し申し上げ た、怪力の手力男命の勇姿をも想像できて神々しさがある。司祭 者は洞窟の巨岩の福石より奥に進み、ご祭神を拝礼するが、一般 参詣者は福石の前に立ち、一家の万福を祈願するのである。
 福石の由来  昔富貴なお方が当社へ参詣し、終夜参籠をしていると、少し眠 気がして、夢に白衣の神人が現われ、洞内の入口を指さされた。 そこには無数の金の蟹がうごめいていた。「お前は信心深い働き 者だから、その一甲を与える」と言われた。松の風音で目がさめ てみると、洞窟の入口に無数の金塊があったので、ご神託の通り その一塊を頂き、村に帰ってからは益々福運が開けて大金持ちに なったと伝えられる。その入口にあった無数の金塊の金蟹は結集 して福石になったと伝えられ、その後福運を祈願して参詣する人 が多い。

−境内案内−



【 穴門山神社 (高梁市) 】

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