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多伎藝神社
たきげじんじゃ
島根県出雲市多伎町口田儀字宮ノ下1365  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に
剣花菱

式内社 出雲國神門郡 多伎藝神社
旧村社

御祭神
多伎伎比売命 大加牟須美命 伊邪那伎命

簸川郡出雲市(旧多伎町)にある。
出雲から9号線を西へ進み、JR田儀駅を過ぎ、
田儀(たぎ)川に沿って南下したあたりで左折し、
284号線へ2Kmほど走ると、社前に到着。

鳥居をくぐり、階段を登ると境内。
正式には、社名は「タキキ」とあり、延喜式にも「タキキ」と訓があるが、
地元では、「タキゲ」と読むらしい。

当社の祭神は、やや複雑である。
というのも、出雲国風土記には、
在神祇官社としての多伎枳社と、不在神祇官社としての多支々社とがあり、
文字が近似し、読みも同音、さらに合祀されながら同一境内に存在する。

このような経緯から、両社は混同され、取り違えられ、
祭神や由緒に関して、判然としないらしい。
以下に、『式内社調査報告』に記載された両社の状況を記す。

不在神祇官社
多支々社
在神祇官社
多伎枳社
出雲風土記
 多伎藝神社延喜式神名帳
多伎々社
阿陀加夜努志多伎吉比賣命
多伎枳社
伊弉那伎尊
大迦牟須美命
社伝
多支々社
(雷明神)
武雷神
 雲陽誌
 多伎藝神社
(雷明神)
武雷神
出雲国式社考
雷大明神
わきいかづちの神
津野大明神
あだかやぬしたききひめの命
出雲神社巡拝記
境内社

多伎支神社
多伎吉比賣命
本社

多伎藝神社
多伎々比賣命
伊弉那伎尊
大迦牟須美命
現在


従来、雷除けの雷明神は、境内社・多伎支神社の祭神であったが、
現在は、多伎藝神社の祭神として、信仰を集めている。

この祭神の中の大加牟豆美命は、
伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰る時、雷神を退散させた桃の実。
雷除けなのだ。

丘を切り取ったような境内に社殿があり、本殿右横に境内社がある。
確認できなかったが、これが多伎支神社ではないだろうか。

境内右手の高台の上に、もう一つの境内社・金刀比羅神社がある。
その額には、金刀比羅・清武神社とあったので合祀かもしれない。

金刀比羅神社の下に、巳乃神と書かれた石祠があり、
境内に、「巳乃神->」と案内板があった。
何か、謂れや伝承があるのかもしれないが、未確認。

拝殿の額には、「雷大明神」とあり、祭神の混同がうかがわれる。
『全国神社名鑑』には、本殿が春日造とあるが、どう見ても、大社造だぞ。

社伝によると、慶雲二年(705)、多伎の小川のほとり
字宮床の地に里人が勧請したのが、不在神祇官社としての多支々社

養老四年(720)、奥田儀に勧請されたのが
在神祇官社としての多伎枳社だが、
後に、多伎枳社多支々社に合祀されたらしい。

すると、本社多伎枳社が、境内社多支々社に合祀されたことになる。
ひょっとすると、延宝八年に、現在地に遷座したが
その時に主客が入れ替わったのかも。


鳥居

社殿

社殿

社殿

拝殿の額、雷大明神

本殿

多伎支神社

本殿と多伎支神社

金比羅・清武神社

巳乃神

多伎芸神社(雷大明神)
簸川郡多伎町大字口田儀字一三六五 山陰本線田儀駅南五粁
祭神 多伎伎比売命・大加牟須美命伊邪那伎命
例祭 一〇月一九日 神紋 二重亀甲に剣花菱
建物 本殿 春日造三坪 幣殿五坪 拝殿入母屋造一二坪
境内 三六九坪 末社 二社 社宝 縁起書二巻・絵馬三面
氏子 三五〇戸 崇敬者 一〇〇〇人
神事と芸能 獅子舞・神楽・花馬奉納(例祭日)
由緒 慶雲二年の勧請。往古は宮床という所 にあり、延宝八年現在地に移した。同社縁起 によれば、多伎伎姫の鎮座する所を多伎とい うとあり、現町名田儀の由来もこれにちなむ とみられる。また当神を雷大明神と称し、氏 子は古来雷災を受けず、他村の人も当社の守 札を所持すれば雷除けになるといい、今日も 遠く県外から参拝者が集まる。

−『全国神社名鑑』−



【 多伎藝神社 多伎芸神社 】

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