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三澤神社
みさわじんじゃ
島根県仁多郡奥出雲町三沢402  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に
剣花菱

式内社 出雲國仁多郡 三澤神社
旧郷社

御祭神
阿遲須枳高日子根命
合祀
大己貴命 素盞嗚命 志那都比古命 志那都比賣命
氣長足比賣命 別雷命 少彦名命 五十猛命

島根県奥出雲町(旧仁多町)にある。
出雲三成駅の西4Kmほど。
三沢郵便局の隣りに社号標が立ち、入口がある。
入口の左手には、小さな事代主社。

参道を歩き、階段をのぼると鳥居。
さらに階段をのぼると神門の奥に境内。

創祀年代は不詳。
式内社・三澤神社に比定されている古社。

出雲風土記に「三澤社」とある神社。
「三澤」は「御澤」の意味。
祭神・阿遲須枳高日子根命が、この地の澤の水によって、
心身の障害を取り除き、立派に成人したという伝承が残る。

この「澤」は当社の西方・三澤城址要害山の山頂にある「刀研池」。

また、当地に大きな澤が三つあるという説もあるらしい。

さらに、風土記には、
「以上諸郷所出鐡、堅尤堪雑具。」
とあり、堅くて質の良い鉄が産する地として、
古代は、農具などの製造が盛んな地であったという。
祭神・阿遲須枳高日子根命の字義は、切れの良い鋤の意味。
農耕神であると同時に鉄の神でもあるのだろう。

中世以来、大森大明神とも高守大明神とも称されていたが
明治四年十二月、社名を戻し、郷社に列した。

祭神は、もともと一柱であったが、
明治七年、意宇郡林村の風宮を合祀し、
大己貴命素盞嗚命志那都比古命志那都比賣命を相殿に祀る。
さらに明治十三年、末社祭神氣長足比賣命を本殿へ合祀。
明治四十年、村社加茂神社、高守神社を合祀して現在にいたる。

社殿の左側に、境内社が並んでいるが、
荒神社と足守社は、垣の中に木が植えられただけのもの。
他には、社日神社・原田八幡宮。
『平成祭データ』には、この他に、蚕養神社・加茂神社・高守神社・狼神社。
狼神社(祭神不詳)ってなんだろう。狼を祀っているのだろうか。


事代主社

参道の階段と鳥居

社号標

鳥居

参道

社殿

境内から神門

社殿

荒神社、足守社、社日社、原田八幡宮

本殿

荒神社

足守社

社日社

三澤神社
仁多郡仁多町三沢四〇二
主祭神 阿遲須枳高日子根命
御父大穴持命大国主命)御母多紀理毘売命の御長 子で、出雲風土記所載の三沢郷の伝承により 当地に祀られたものである。
合祀神 大己貴命素盞嗚命
志那都比古命志那都比賣命
氣長足比賣命別雷命
少彦名命五十猛命
社歴 当社の創立は往古に遡り、既に出雲風土記 (七三三)に三澤社として仁多郡の神祇官社二社中 首位に記録され、次いで延喜式神名帳(九二七)に は三澤神社とあるところから古く天平(七二九)以 前から広く崇敬されていたものある。
神社の敍位は仁寿元年(八五一)初めて従五位下を授 けられ貞観十三年(八七一)正五位下を授けられて いる。中世は歴代三沢氏の庇護を受け社領八 十石の寄進があり、徳川時代も歴代国主の崇敬 をうけ松平治郷公(不昧公)外三国主の参詣が記録 されている。明示四年社格郷社に列せられ 式内郷社三澤神社となり、同四十一年神饌幣 帛料を供進される神社に指定される。
昭和二十年宗教法人三澤神社となり同五十六 年特別社に指定を受ける。
祭日 例大祭・十月二十九日
祈年祭・四月九日(三月一日)
新嘗祭・十一月二十五日

−境内案内より−



【 三沢神社 三澤神社 (奥出雲町) 】

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