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百射山神社
ももいやまじんじゃ
岡山県総社市三輪1347  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 備中國窪屋郡 百射山神社
旧村社

御祭神
百射山神社 大山祇命
合祀 御崎神社 吉備武彦命
合祀 三輪神社 猿田彦命 大物主命

岡山県総社市にある。
総社駅の南東2Kmほどの三輪に鎮座。
469号線から東へ入った奥に、参道入口の鳥居。
鳥居をくぐり、参道を進むと、
「三輪山の古墳群」に関する案内がある。
三輪山(当社周辺)には多くの古墳群があるらしい。

参道を進むと境内へ続く階段。
階段を登ると、広い境内がある。

正面に拝殿があり、扁額には
「御崎神社 百射山神社 三輪神社」と
3つの社号が記されている。
拝殿の後方、少し高い場所に本殿。
社殿の左右に境内社があり、
境内左手にも、幾つかの石祠。

参拝は、年末大晦日。
社殿の両脇には門松が飾られ、
参道には「初詣」と染められて赤い旗が並んでいた。
曇りの午前中のため、写真は暗め。

社号の「百射山」は、「ももいやま」と読むらしいが、
参拝中は、ずっと「ももさやま」だと思っていた。

社伝によると、
祭神・大山祇命の後裔、五田守國勝長狹命と宇津命が
水軍を率いて吉備の島の賊どもを平らげたとき、
この地(百射山島)に御滞在され、
祖神・大山祇命を奉祀されたのが神社のはじめ。

古伝によると、
浄見原天皇(天武天皇)が国中に行幸の時、
道に一人の老人がおり、射的をして遊んでいた。
そこへ敵が迫り、老人は逃げるものは追わず、
近づくもののみを射た。
後、屍を埋葬し、墓誌を建て、塔を建てたという。
その老人を祀ったのが当社のはじめ。

元は、当社の南東2Kmの福山山頂に祀られていたが、
足利直義の福山城攻撃により炎上したため、
幸山城主石川左兵衛により、
福山城の北西1Kmにある幸山山腹へ再建。
寛文年間、式内社復興の動きに伴って、
現在地三輪の宮山へ遷座、復興された。

異説として、初めから幸山山腹へ祀られていたとも。

近世には、百射山大明神とも百射山天神宮とも
称していたが、明治になって百射山神社へ戻したという。


参道入口

境内入口

境内

社殿

拝殿扁額

本殿

荒神社と本殿

木野山神社と本殿

七社水神宮と祇園社

厄神社

幸山の西麓(清音三因の幸山百射口)に
神社跡と伝えられる場所があるらしく、
百射口常夜燈が建っていた。


百射口常夜燈

三輪山の遺跡群
 三輪山は南北約1.2Km、東西約1.1Km、最高所は標高96.3mの半 独立した花崗岩からなる丘陵です。
 この丘陵を先人たちが利用しだしたのは約2000年前の弥生時代中 期頃で、天理教三輪山教会裏山遺跡や殿山遺跡などの小集落跡が あります。その100年ほど後の弥生時代後期には、宮山を中心とした 一帯をむらの墓地として利用していたようです。
 しかし農業生産や手工業生産の進展と社会機構の変革は、平等で あった弥生社会に支配者(首長)層を生みだしました。宮山墳丘墓や 柳坪墳丘墓は、彼ら支配者層の墓と考えられており、規模や構造な と、庶民の墓と大きな違いをみせています。その後まもなくあらわ れる古墳は、そうした関係がより具現化したものです。
 天望台古墳は全長55m、三笠山古墳は全長70mで、ともに前方後 円墳です。4世紀後半頃から系譜的につくられた首長墳と考えられ ます。また各尾根上にある約70基の径10m前後の小古墳は、有力首 長を支えた人たちの墓と思われます。
 6世紀代になると、古墳の内部構造に横穴式石室を採用するとい う大きな変化が始ります。この地方は横穴式石室を比較的早く採り 入れた地の一つとされています。6世紀後半頃からは横穴式石室が 各地で一般的となり、20基ほどがこの丘陵にも築かれたようです。
 7世紀代になると古墳の築造は急減し、権力表示は古墳から寺院 建築に代り、有力豪族たちは競って各地に寺院を建立します。
 三輪廃寺は、そうした古代寺院の一つと考えられており、建物の 基壇らしい版築層や古瓦の散布がみられますが、伽藍配置や寺域は 不明です。
 百射山神社は、927年に完成した延喜式神名帳にその名を残す官 社で、一般に式内社とよばれる古社です。

−参道案内板−



備中國一八社
  式内社百射山神社
御祭神
御相殿
御相殿
百射山神社
御崎神社
三輪神社
御相殿
大山祇命
吉備武彦命
猿田彦命
大物主命
(おおやまつみのみこと)
(きびたけひこのみこと)
(さるたひこのみこと)
(おおものぬしのみこと)
御由緒 御祭神大山祇命は、皇孫天彦彦火瓊瓊杵尊の后妃木花開耶
姫之命
の御父神にて人皇第一代神武天皇御即位の節、南海
の道伊予国(愛媛県)大三島に鎮座される。後に命の御神裔
五田守國勝長狹命と宇津命は水軍を率いて吉備の島の賊
どもを平らげた。其の途中吉備の國百射の山島に御滞在さ
れた時に、御祖神大山祇命を奉祀されたのが神社の始めと
伝えられています。その後、戦災等で隣山の幸山へ奉移再
建されましたが、寛文十二年(一六七二)岡山藩主池田光政
公の命により、宮山の地に奉移遷宮され現在に至る。

−参道案内板−



【 百射山神社 (総社市) 】

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