速雨神社
はやさめじんじゃ
徳島県徳島市八多町板東91

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式内社 阿波國勝浦郡 速雨神社
旧村社
御祭神
豊玉比女神
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徳島県徳島市にある。
JR徳島駅から55号線を南下し、勝浦川に沿って右折。
さらに、八多川に沿って西へ。
八多病院あたりで、道を南へ入り少しの場所。
道路からでも、すぐに分かる、田の中の大きなクスノキが目印。
社殿の背後に、天に枝をのばした神木なのだ。
正面から見ると、まるで宝塚のトップスターの羽飾りのようで
美しく神々しい姿。
創祀年代は不詳。
「速雨」の社名は、資料によると、
現在「はやさめ」と読まれているようだが、
延喜式としては「はやあめ」。
祭神は、豊玉比女神。
『阿波國式社略考』では豊玉彦命。
鎮座地である八多は、新撰姓氏禄の八太造と関連があると思われ、
八太造は、豊玉彦命の子・布留多摩乃命の後である。
別当は金龍寺。
通称は、雨の宮で、雨乞いの霊験があるという。
大楠
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社殿
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由来
延喜式内社 | ・速雨神社(通称・雨宮神社) |
御祭神 | ・豊玉比女命 |
社 格 | ・村社−明治八年四月二十日列格 |
由 緒・宇母里比古神社(八多町森時)と共に「延喜式内社−平安時代」に列格
された当社は、豊玉比女命を御祭神とし、古代(平安時代)から見られる由緒ある神社
である。(築後一一〇〇年)近くに式内社が二社あるのは、中央の豪族海犬飼氏の領地
であったことが考えられる。すでにこの頃から自生していた楠も、現在では天に届くほ
どの神木となっている。「阿波志−江戸後期・文化一二−一八一五」に「速雨祠 延喜
式亦為小祀在八多村雨宮里水田中金龍寺管之」とあり、水田の中に在って金龍寺が別当
寺であったことがわかる。またこの社は通称雨の宮と呼ばれており、往時から雨を願っ
て祈れば願いがかなうほどの霊験があり、海上安全、開運厄除け、縁結び、安産などの
御利益がある。 |
御祭神 | ・豊玉比女命 |
海神・大綿津見神の娘で玉依比女命は妹。豊玉の玉は神霊を意味していて、満ち足り
た霊を宿す女で巫女神である山幸彦命(穂穂手見)と結婚し鵜葺草萱不合命をもうけた
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延喜式
弘仁式・貞観式の後を承けて、編集された律令の施行細則。平安初期の禁中の年中儀
式や制度などの事を漢文で記す。五〇巻。九〇五年(延喜五)藤原時平・紀長谷雄・三
善清行らが勅(天使の命令)を受け、時平の没後、忠平が業を継ぎ、九二七年に撰進。
九六七年に施行された。巻九・一〇に見える神名帳には全国の官社(式内社)を列記。
阿波でも五〇座があり、特に大麻比古神社・天日鷲神社(忌部神社)等は社格が高いも
のとされている。
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−境内石碑より−
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