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阿沼美神社
あぬみじんじゃ
愛媛県松山市平田町宮内983
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愛媛県松山市にある。
伊予和気駅の東1.5Km。
196号線から少し東に入った所に鳥居と社号標が立っている。
ゆるい上り坂の参道の突き当たり、丘の上に境内があり、
境内・社殿は西向き。
階段を上がると正面に拝殿。後方の本殿は流造。
境内右手が駐車場、左手に境内社が並んでいる。
年末の参拝。
「さて、参拝開始」と鳥居を撮影しようと見上げたら、
雲が、なかなか面白い雰囲気だった。
中に、まっすぐに一本の飛行機雲。
写真を縮小すると、よく見えないかもしれないが、
見ようによっては、光の柱にも見え、ちょっと感動。
御村別の祖・景行天皇の皇子武国凝別、
および別王の祖・日本武尊の御子十城別王の宮居があった場所という。
後、河野氏の崇敬により、河野氏の氏神である大山祇神を合祀し、
阿沼美三島大明神と称していた。
境内左手の境内社は2つ。
それぞれの社殿に、3社が合祀されている状態。
向かって左側には、貴布禰神社・十六皇子神社・神殿神社。
社殿の前には2つの力石。
向かって右側には、阿奈波大明神・稲荷神社・多賀大神宮。
社殿の垣の中には、男根の彫刻が奉納されており、
周囲には陰陽石もある。
神紋は、河野氏の家紋・折敷に縮三文字。
鳥居と雲 |
社号標 | 境内入口 | 参道の木 |
鳥居 | 参道階段 | 拝殿 |
社殿 | 本殿 |
境内 |
貴布禰神社 十六皇子神社 神殿神社 | 阿奈波大明神 稲荷神社 多賀大神宮 |
貴布禰神社前の力石 | 阿奈波大明神横の陽石 |
阿沼美神社の由緒
別氏の子孫は阿沼美の神を奉斎して深く尊崇を尽くし四十代天武 天皇四十五代聖武天皇五十代桓武天皇五十二代嵯峨天皇七十五代崇 徳院等は幣帛を奉り勅願により宮殿を再造営した 別氏の没落後河野氏は三島の神を合わせ祭り「阿沼美三島大明神」 と号して累代崇啓を尽くし神領を三百二十一町六反を寄進した さらに河野道直は新たに社殿を築き厳命して「新宮」の二字を加 え「阿沼美三島新宮大明神」と称え一族の潮見山城主大内伊賀守越 智信泰を大宮司として祭事を掌らせた 河野氏滅亡後「三島新宮」とのみ称するようになっていたが天明 二年本殿が大破して再建した際屋根裏から文録年度の「阿沼美三島 新宮大名神」と記した古棟板が発見され又天保四年九月六日には御 幸橋の地下から「阿沼美宮」と刻した延文年間の石額が出土した翌 天保五年藩命を奉じて天朝に奏し「阿沼美神社」の旧号に復した 延喜式神名帳に伊予国温泉郡「阿沼美名神大」又同臨時祭式に 名神祭(二百八十五座)「阿沼美神社一座」(伊予国)とあるのは 当社であるといわれている −境内石碑− |
【 阿沼美神社 (松山市平田町) 】