![]() |
|
|
生夷神社
いくいじんじゃ
徳島県勝浦郡勝浦町沼江田中71

|
|
式内社 阿波國勝浦郡 事代主神社 |
徳島県勝浦町にある。
55号線から勝浦川に沿って7Kmほど南下した沼江に鎮座。
勝浦川の中流に位置する山間盆地で、
古くは、生夷郡と称していたという。
勝浦川を右手に見ながら南下し、沼江で少し東に入る。
道路がカーブを始める場所で、南へ入り、少し上ると境内。
境内の前には、掛谷集会所があるが、
戦前、この集会所は境内の舞台であったらしい。
境内は小さな公園のような雰囲気。
拝殿後方の本殿は、覆屋の中にあって見えなかった。
創祀年代は不詳。
祭神・事代主命は、阿波南方三郡(勝浦・那賀・海部)に
勢力のあった長氏(ながうじ)の始祖。
当地を開拓した集団が祀ったお宮。
神戸の『長田神社史』によると、
社地の近くに、長田という小字が残っており、
おそらく、摂津国の長田から、事代主命を始祖とする
長柄首、あるいは長我孫の一族が阿波に入り、
長直と称して、開拓にあたったものと説明している。
社名の「生夷」は、「イクイナ」の意味らしく、
沼江の田中に鎮座するに相応しい社名。
また、祭神・事代主命の俗称である、夷(エビス)をも表し、
当社も、通称は、エベッサン。
式内・生夷神社に比定されている神社だが、
沼江地区には、二つのエビスと呼ばれる神社が存在し、
当社は、その中の一社。
境内 |
![]() |
鳥居 ![]() | 社殿 ![]() |
沼江地区のもう一つのエビス神社が、
当社の東500mにある大将軍神社の境内にある。
『式内社調査報告』の記述によると、古書には二つのエビス神社に関して、
「大ナルハ中世ヨリ領主ノ勧請ナリ、小社ハ即チ延喜式ニ載ル所ノ式内ノ神ナリ」
とあるらしい。
どちらが大で、どちらが小かは、昔の資料なので判別できないが、
他の古書に「社ノアタリナル地ノ字ヲ長田トイフ」とあるそうで、
当社が、式内社であると判定されている。
大将軍神社鳥居 ![]() | 大将軍社殿 ![]() |
大将軍境内の蛭子神社 |
![]() |
