![]() |
|
|
羽浦神社
はのうらじんじゃ
徳島県阿南市羽ノ浦町中庄千田池32

|
|||
旧郷社 |
徳島市の南、阿南市(旧那賀郡)羽ノ浦町にある。
JR羽ノ浦駅から北へ約1Km。
観音山と呼ばれる小山の麓に鎮座。
境内横から観音山への道があり、「羽浦公園」と書かれていた。
山上に公園があるようだ。
当社の横には、当社の別当だった挙正寺がある。
参拝は7月19日。
境内では、父子が蝉取りをしていた。
創祀年代は不詳。
当社は、明治まで、村社・八幡神社であったが、
明治43年の神社合祀により、村内の23社を合祀し、
羽浦神社と名を改めたもの。
合祀された神社の中に、式内社が二社入っている。
和耶神社の古社地は、能路寺山といい、
現社地から西へ1Kmに、能路寺があるあたり。
周囲には古墳もあるらしい。
和耶神社の「和耶」は「和射」の誤写であるという説があり、
日和佐地方からの遷座ともいわれるが確証はない。
また、「和奈佐」の誤写とも言われ、
同じく、合祀されている和奈佐意富曾神社との関連を指摘する説もある。
社名 | 祭神 | 合祀前の鎮座地 | |
村社 | 八幡神社 | 誉田別命 足仲彦命 氣長足姫命 | 中庄村字千田池 |
式内社 | 和耶神社 | 淡夜別命 | 宮倉村字背戸田 |
村社 | 國中神社 | 大穴牟遅命 國常立命 少彦名命 彌都波能賣命 | 宮倉村字國中 (現在の春日野) |
式内社 | 和奈佐意富曾神社 | 和奈佐毘古命 和奈佐毘賣命 | 宮倉村字羽ノ浦居内 |
無格社 | 春日神社 | 天兒屋根命 | 宮倉村字羽ノ浦居内 |
無格社 | 地神社 | 天照皇大神 大己貴命 少彦名命 稲倉魂命 埴安姫命 | 中庄村字千田池 |
無格社 | 事代主神社 | 事代主命 | 中庄村字千田池 |
無格社 | 野神社 | 野槌命 | 中庄村字千田池 |
無格社 | 天神社 | 菅原道實命 | 中庄村字千田池 |
無格社 | 貴船神社 | 水速女命 | 中庄村字高田 |
無格社 | 高田神社 | 大國主命 | 中庄村字高田 |
無格社 | 嚴島神社 | 市杵島比賣命 | 中庄村字那東原 |
無格社 | 住吉神社 | 綿津見命 手力男命 | 中庄村字トキ内 |
無格社 | 野神社 | 野槌命 | 中庄村字中塚谷 |
無格社 | 八坂神社 | 建速須佐之男命 | 羽ノ浦居内春日神社境内社 |
無格社 | 住吉神社 | 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命 | 同境内社 |
無格社 | 宇多神社 | 宇麻志麻遅命 | 同境内社 |
無格社 | 大山積神社 | 大山祇命 | 同境内社 |
無格社 | 八坂神社 | 須佐之男命 | 宮倉字背戸田和耶神社境内 |
無格社 | 今宮八幡神社 | 誉田別命 | 同境内社 |
無格社 | 吉野神社 | 天兒屋根命 | 同境内社 |
無格社 | 稲倉穂神社 | 稲倉魂神 | 同境内社 |
無格社 | 地神社 | 天照皇大神 大己貴命 少彦名命 埴安姫命 稲倉魂命 | 同境内社 |
羽ノ浦駅から、北(坂野方面)へ向う274号線を
500m進むと信号があり、その先の脇道で左折すると
田圃の中に鳥居があり、観音山へ真直ぐ参道がのびている。、
境内には、一段高く鳥居があり、後方に社殿。
木々も豊で、なかなか良い雰囲気だが、暑かった。
拝殿には、鷹羽紋と巴紋の、幕や提灯が飾られていた。
巴紋は、八幡の基本。鷹羽は、蜂須賀家による。
境内 |
![]() |
鳥居と社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
鳥居扁額 ![]() | 本殿 ![]() | 参道入口の鳥居 ![]() |
羽浦神社由緒略記
鎮座地 徳島県那賀郡羽ノ浦町大字中庄字千田池三十二番地當社は、明治四十三年七月十五日内務省神社局及び徳島県の訓令 により村内の奉斎せられし左記二十三社四十柱をこの地に鎮座の村 社八幡神社に合祀し社名を羽浦神社と改称羽ノ浦の里の総氏神とし て奉祀せられ昭和十二年六月三十日郷社に昇格に至る。 茲に於てまず八幡神社の縁起について記する。創立年代不詳とい えども古書及び社伝を見るに天正年間阿波國主蜂須賀家政公國内平 穏家運長久御鷹狩安全祈願のため、當社に参拝挙正寺をして八幡宮(後 八幡神社と称す)の別當職たらしめ、當社の社殿を再建す。又慶長八年 國主蜂須賀至鎮公御成りの砌蜂須賀家代々の祈願所に指定、下って萬 治元年蜂須賀光隆公家運長久御鷹狩安全の祈願を斎行せられ、山上に 鎮座せし、社殿を現在地に建立その折當社の社紋を鷹羽の打ち違えを 用いるべき旨仰せられ爾来國主領主の祈願所とせらること久し。 次に合祀せられし神社の内特筆すべきは宮倉字背戸田に鎮座の式 内社和耶神社(第五十六代清和天皇貞観八年従五位上に叙せられる)で ある。式内社とは今より約千百年前第六十代醍醐天皇の御宇延喜式 の神名帳に登載せられし神社をいい由緒等最も古く、當時の古社であ り朝廷を始め國家よりの尊崇頗る篤く阿波國で五十座年毎の祈年祭 に國司の奉幣にあづかりし名社である。和耶神社は式内社那賀郡七座 の内の一座に数えられ更に大日本史及び社伝に和耶神社祭禮「毎歳立 春前一日村民集社前追儺行事畢三唱神 ![]() 昭和五十九年十月吉日
羽浦神社 宮司 中山敬子
−境内案内− |
【 羽浦神社 】
