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水主神社
みずしじんじゃ
香川県東かがわ市水主1418
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式内社 讃岐國大内郡 水主神社 |
香川県大内町(現東かがわ市)にある。
三本松駅から与田川に沿って、南西に4Kmほど進むと、
道路左手に境内入口が見える。
大内ダムのそばにあり、まさに、水主なのだ。
周囲に3つの山があり、熊野三山に見立てている。
本殿の左右に、熊野三社と国玉神社、
本殿後方に、孝霊神社があり、四社構成となっている。
創祀は、宝亀年中。通称、社さん(やしろさん)。
水主と書いて、「みぬし」と読むが、地元では「みずし」。
応和2年(962)の大旱魃の際に、祈雨の霊験により社号を賜ったもの。
神社後方・西の山が本宮山(本宮・早玉男命)、
北の山が那智山(那智・事解男命)、南東の山が虎丸山(新宮・伊邪那美命)。
水主三山として、本殿左に祀られている。
祭神については、彦火々出見尊説、火明命説、
倭迹々稚屋姫命説、級戸神説などがあるが、
現在は、倭迹々日百襲姫命。
本殿右手には、祭神の母・倭国香姫命を祀る国玉神社。
本殿後方には、祭神の父・孝霊天皇を祀る孝霊神社。
境内左手には、閼伽谷と呼ばれる場所があり、
水神社が祀られているが、社殿の後方に、弘法大師手堀の井戸がある。
写真では明るく写っているが、参拝した早朝は暗くて、
ファインダを覗いても、真っ暗だった。
神紋は、丸に「社」の文字。
境内入口 | 参道と門神 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
本殿左・熊野三社 | 本殿 | 本殿右・國玉神社 |
本殿後方・孝霊神社と境内社 |
社号標 | 参道の清水? | 参道の禊殿 |
境内左手の弘法大師手掘りの井戸と井戸の前の水神社 | |
水主神社
弥生時代後期、女王卑弥呼の死後、再び争乱が繰り返
され、水主神社の祭神倭迹々日百襲姫命は、この争乱を
避けて、この地に来られたと伝えられています。姫は未来を予知する呪術にすぐれ、日照に苦しむ人々 のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開き米作りを 助けたといわれています。 境内は県の自然環境保全地域に指定され、付近からは 縄文時代の石器、弥生・古墳時代の土器が多数発見され、 山上には姫の御陵といわれる古墳もあり、宝蔵庫には多 くの文化財が納められています。社殿はすべて春日造り で統一されており、社領を示す立石は大内・白鳥町内に 今も残っています。 與田寺へ向う途中の弘海寺付近には昔有名な「石風呂」 があり、宿屋が栄え、「チンチン同しに髪結うて、水主 のお寺へ参らんか。」とこどもたちが歌ったほどにぎや かな土地でありました。 −境内案内− 水主神社(延喜式内社)
−境内案内− 当社は大水主大明神又大内大明神と言われ文武、元明天皇の時代より「洛陽の坤の方なる讃岐の国に霊地あり、大水主御社と号す」と言われていました。 創祀は遠く孝霊天皇の御宇にして一説には、宝亀年間の勧請と誤伝していますが、再建の年にして祭神は孝霊天皇の皇女「倭迹々日百襲姫命」で七才の年に大和の国黒田の盧戸より出て八才の時東讃引田の安戸の浦に着く御殿、水主に定め造営せられたとあります。 土地の人は、ここを「大内」と呼び昔日の大内郡の郡名大内町の町名はここに起源となると言われております。 じ来各時代多くの変遷を経、現在に至って居り、明治三十四年三月二十七日国宝となった木造狛犬二点(運慶作)木造御神像八点雷文螺鈿鞍一背大般若経入白木面塗函六十点の外県指定の文化財社宝も数多く秘宝しております。 −『平成祭データ』− |
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