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姫坂神社
ひめさかじんじゃ
愛媛県今治市宮下町3
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式内社 伊豫國越智郡 姫坂神社 名神大 |
愛媛県今治市にある。
今治駅の西、数百m。高校の横の丘の上に鎮座。
道路脇、浅川にかかる赤い欄干の橋を渡り、
北西に参道が延びている。
境内に入ると、左手に赤い鳥居の境内社。その後に社務所。
右手には、境内社の青木神社。
創建年代は不詳。
往古は、蒼社川支流泉川岸の姫宮というところにあり、
いつの頃か、現在地へ遷座した。
境内の案内では、遷座したのは江戸時代であるとする。
『式内社調査報告』では、遷座年代不詳としながらも、
近世初頭には既に、現在地に奉遷されていたと考えている。
社号の示す通り、祭神は、姫神・市杵島姫神。
が、これは瀬戸内宮島の厳島信仰の影響によるものと思われ、
本来の姫神であるとは思えない。
『神名帳考證』では、屋船豊宇気姫とされている。
当社は、延喜式神名帳に名神大社と記されているのだが、
写本によっては、記されていないものもある。
(注として記されている)
延喜式伊豫国の名神大社は、七社と記されているが、
数えてみると、全部で八社ある。
越智郡に限ると、大社は二つと記されているのだが、
大山祇・姫坂・多伎の三社に名神大社とあり
当社の名神大社に関して、疑う説もあるようだ。
鳥居をくぐり、坂道を登り、階段を上がると、社殿がある。
拝殿後方に本殿があり、その左横に、境内社の大己貴神社がある。
右横には石祠の稲荷社がある。
神紋は、『全国神社名鑑』には「三つ亀甲かたばみ」となっているが
社殿には「三つ亀甲に花菱」だった。
「かたばみ」は三枚葉、花菱は四枚葉なのだが。
橋と参道と鳥居 | 参道奥に城のようなマンション | 参道 |
参道の青木神社 | 稲荷神社 |
拝殿 |
社殿 |
本殿 |
大己貴神社 | 小さな稲荷 |
「姫の宮」と称えて往古より日吉の里、姫の宮 の地(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、今から 一〇八〇年前醍醐天皇の延喜の制に式内大社 (全国で三五一社)に列格の栄光に浴し皇室より久 しく特別の待遇に預り、国司、主護職、領 主をはじめ庶民の信仰を集めた。 江戸時代今治藩の祈願所として雨乞祈 願のたびごとに藩主の参拝あり、毎年ご蔵 米の献納に預った程であったが、故あって六二〇〇 坪に余る広大にして尊厳な千幾百年の歴 史を残す姫の宮の社地から現在の浄地に移 転されたのは今から二百数十年前のことである。
続伊豫温故録より 宮脇通赫著
姫坂神社 日吉村にあり 古歌 ひめ坂に立る梢のいろいろに 神のみそぎの錦なるらん 享保八年九月九日 当国松山之住 仙波半幽斎全敬伯 当神社は古来式内大社として、また日吉郷 (旧今治市の全域)の一の宮として斎かれ、交通主護の神、 開運の神、安産の神として広く信仰されている。 −境内案内− 大己貴神社 大山祇神社 山王神社
このお宮の中に三殿をお祀りし中央に大己貴神社、向って
右側は大山祇神社、左側は山王神社で明治四二年にここに合祀されました。一、大己貴神社 一般に荒神様と親しみの言葉で呼んでいま す。また大国主神、大黒様とも申します。元は宮ノ下、本 村城台、新屋敷、八軒家、鯉池、今城、横畑の地区の守護神と七体の ご神体が合祀されてあり毎年一度地区毎の氏子で大祭が 行われ、お当祭りの神事も続いています。 殖産興業の神、農耕の神として信仰が篤い。 一、大山祇神社 向って右のご殿に、宮ノ下、八軒家の祭神が 合祀してあります。 ご祭神は大山祇神、山神信仰により往古よりお祀りされました。 一、山王神社 山王権現社又は日吉山王社とも称し、泉川町 から合祀されました。土地の守護神、地鎮の神様で あります。 −境内案内− 青木神社由緒
一、祭神 少彦名神一、神徳と沿革祭神 医学の神様として広く信仰さ れている少彦名神様は、太古各地を巡って 医術と医薬の道を指導し大勢の病人を救 済なさった神徳の高い神様であります。 青き通り(現、北日吉町一丁目)は少彦名 神様のご駐蹕の古跡に小千国造が神籬を 立てて祭祀を行ない、のち社殿を造営され た大そう古い神社であります。 江戸時代藩主の祈願所として庶民の信仰 あつく、病に悩む人々特に「咳」の守護神 として祈願と感謝に奉納する草履は相当 の数であったと伝えられています。 明治四二年にここに遷座されましたが今 も霊験を頂く祈願者は市内一円から附近 の町村からそのあとを断ちません。 −境内案内− |
【 姫坂神社 (今治市) 】