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和爾賀波神社
わにかわじんじゃ
香川県木田郡三木町井戸1582
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香川県三木町にある。
高松琴平電鉄長尾線・公文明駅の南1Kmほどの井戸に鎮座。
鴨部川(鰐川)の西側に南北に長い境内がある。
境内入口から、馬場であったと思わせる長い参道を歩くと、神門がある。
参道には、数台の軽トラックが停められ、
参道の境内社では、なにやら作業中。
参拝は、2002年の年末。
氏子の方々が年始準備の飾り付けの最中のようだ。
神門をくぐると、境内には、さらに多くの人々。
拝殿では、縄を結って注連飾りを手作りしていた。
そんな方々の好奇の目の中で撮影。
そうこうしていると、
ちょうど昼時で、休憩に入り、拝殿から人が居なくなった。
創祀年代は不詳。
式内・和尓賀波神社の論社で、
祭神は、豊玉比賣命。
当社の東に流れる川を祭神が鰐に乗って遡上して来たという。
『肥前国風土記』に、「此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。
海の神鰐魚を謂ふ年常に、流れに逆ひて潜り上り、
此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従ふ。
或は、人、其の魚を畏めば殃なく、
或は、人、捕り食へば死ぬることあり。
凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。」とあり、
豊玉比賣命=世田姫と考えられているらしい。
配祀の八幡大神は、男山八幡宮より勧請されたもの。
『紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記』には、10回の遷宮の記事があるらしい。
天暦四年(950)、治安三年(1023)、寛治七年(1093)、
治承二年(1178)、建仁三年(1203)、文永元年(1264)、
文永三年(1266)、応長元年(1311)、永享五年(1433)、
永享十年(1438)。
二年で遷宮したこともあるというのはどういう理由だろうか。
配祀の玉依比賣命に関しては、
豊玉比賣命の妹神の玉依比賣命なのだろうか、
八幡大神の比売大神としての玉依比賣命なのだろうか。
八幡大神の比売大神は、神功皇后の妹・豊姫とする説もあり、
さらに、豊姫は世田姫とする説もあってややこしい。
参道には古武神社。
境内に、若宮神社、春日神社、天神社、八坂神社があり、
綺麗に飾りつけされていた。
各祠の幕を見ると、神紋は、巴と菊の2種類。
本殿の屋根にも2種類。
ただし、巴紋が、幕と屋根では左右が逆になっていた。
どっちでも構わないのかもしれない。
境内入口 | 参道鳥居 | 参道 |
神門 | 境内 |
拝殿 |
社殿 | 社殿 |
社号標 | 本殿 | 社日 |
古武神社 | 若宮神社 | 春日神社 |
天神社 | 八坂神社 | 社名未確認 |