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八代神社
やつしろじんじゃ
熊本県八代市妙見町405  Zenrin Data Com Maps display !!


九曜


丸に二つ引

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旧県社

御祭神
妙見神

八代市。八代駅から東へ2・3Km走り、
3号線から右斜めに入る道の突き当たりにある。

八代神社は、上宮・中宮・下宮の三社で構成されており、当社は下宮。
上宮・中宮は既に途絶え、山中に上宮跡、山麓に中宮跡がある。
今回は、雨だったため、上宮跡・中宮跡への参拝はしていない。
社務所で聞いた話では、中宮までは車で行けるが、
上宮へは歩いて1時間程の距離らしい。

『妙見縁起』によれば、むかし漢土の白木山神が、目深・手長・足早となり、
明州の津より、亀蛇(きだ)に駕して、天武朝の白鳳九年に来朝し、
八代郡土北郷白木山八千把村の竹原の津に着岸、三年仮座、
次いで益城郡小熊野郷千代松ヵ峰に移り、
そして、和銅二年、八代郡横嶽(上宮)に鎮座したという。

中宮は、二条天皇の勅願により、永暦元年、
肥後守平貞能が、三宮嶽の麓に建立。

下宮は、文治二年散位大江朝臣が勅を奉じて
山麓字池尻に創建したという。

天正十六年、小西行長の兵火にかかり焼失。
後、加藤清正によって再建された。

もとは妙見宮と称したが、明治初年、八代神社と改称し
明治五年県社に列した。

今回、当社へ参拝したのは、この妙見神の乗って来た亀蛇に惹かれたため。
当サイト、genbu.net の genbu(玄武)は、四神の一、北の守護神で、
亀と蛇のキマイラである。まさしく妙見の亀蛇なのだ。

妙見信仰は、北極星あるいは北斗七星を崇拝する信仰。
天の中心の星であり、天帝の星。
また、北は水を意味し、北斗七星も柄杓の形であり、司水の神でもある。
そして、玄松子の名のオリジナルである赤松子は、雨師の神。

妙に縁を感じてしまったのだ。

境内は広く、社殿後方が駐車場を兼ねている。
大きな祭りのある神社の境内は、当然広いのだ。
妙見祭は11月17・18日に行われる大祭。

社殿前には、燈籠の脚に六地蔵を刻んだ六地蔵幢がある。


鳥居

拝殿

門守社

神紋

門守社

社殿

境内

本殿

本殿

大宮神社

稲荷神社

六地蔵幢

妙見由来
妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。
妙見神の来朝
天武天皇、白鳳九年(六八〇)、妙見神は、神変をもって、目深・手長 ・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津 より「亀蛇」(玄武)に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に 来朝せり。
妙見宮(上宮)の創建
桓武天皇、延暦十四年(七九五)、乙亥、国司桧前(ひのくま) 中納言政丸、三室山横嶽にこれを創建す。
妙見中宮寺の創建
二条天皇、永暦元年(一一六〇)、庚辰三月十八日、従五位肥後守 平貞能、横嶽の麓に建立す。
妙見宮(下宮)の創建
後鳥羽天皇、文治二年(一一八六)、丙午十一月十八日、検校散位 大江高房、妙見上宮を太田郷宮地の地に遷座しめる。

八代神社 Yatsushiro Shrine (Myoken Gu)
 八代神社は、妙見宮とも呼ばれ、上宮、中宮、下宮の三社よりなり、本 社はその中の下宮です。
 この八代神社(下宮)は、文治2年(1186)八代平野の要の位置にあた るこの地に建立されました。
 現在の建物は、元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に本格的に改築さ れたものです。
 社殿は県指定の重要文化財になっており、屋根は入母屋造りで、正面に 千鳥破風が設けられ、これらの妻飾りには数多くの彫刻が使用され、江戸 時代中期から後期にかけての社寺建築の特徴をよく表わしています。
 11月中旬にある祭礼は、九州三大祭りの一つに数えられ、神事の神幸行 列は、県の無形民俗文化財に指定されています。
 Built In 1186 at the request of Emperor Gotoba. It is still famous as the site of one of the three major festivals in kyushu held in the middle of November.

−境内案内−



【 八代神社 (妙見宮) 】

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