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北岡神社
きたおかじんじゃ
熊本県熊本市西区春日1−8−16  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴 五瓜唐花
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旧県社

御祭神
建速素盞嗚尊 奇稲田媛命
天忍穂耳命 天穂日命 天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命
多紀理媛命 市寸島比売命 田寸津比売命

熊本市、熊本駅の北にある。熊本城の南1Kmほど。
西側の鳥居をくぐると、階段上に楼門があり、
楼門前の木に注連縄を通した注連柱となっている。

西南の役の際、西郷隆盛が本営を築いた場所だが、
熊本城からの砲撃が集中したため、二本木へ本営を移したという。

階段を登ると境内がある。丘の上にある境内は見晴らしがよい。
境内の東側はずれと、社殿横に境内社が多く祀られている。

参拝時は雨だったが、緑の木々と赤い楼門が非常に美しかった。
社殿も落ち着いた色調で良い。

通称、祇園様とよばれ、京都八坂神社の勧請社。

社伝によると、
朱雀天皇の御代承平四年、藤原保昌が当地の国司の時、
元飽託郡湯原(今の二本木町の内)に勧請したもの。

ただし、承平四年は934年で、藤原保昌は958年生まれなので
年代が合わない。

また、一切の燈火を消して行う当社の特殊神事「守の祓」は
天録元年(970)正月七日まで遡るという。

いずれにしろ、平安時代の創建だと思われる古社。

明治十七年、鎮座九百五十年記念事業として、現在の地に遷座した。

多くの境内社があり、それぞれに社名・祭神名などの
説明が書かれているのはありがたい。

非常に良い境内だが、入口がわかりにくいので、
熊本へ来ても、気付かない人がいるかもしれない。

当社の境外社に、肥後國総社がある。


西の鳥居

参道

灯篭の神紋

楼門

境内

本殿

拝殿内

本殿

久末神社
健磐龍命
菅原道真公
宇迦之御魂大神

宮地嶽神社
息長足比賣命
勝村大神
勝頼大神



稲荷神社
宇迦之御魂大神

護町神社
事代主神・比賣神

新宮神社
伊弉冉尊

菅原神社
菅原道真公

國造神社
遅男江神・比賣神

阿蘇神社
健磐龍命・比賣神

久末荒神社
荒神大神

疫神社
蘇民将来

京國司神社
藤原保昌・比賣神


西郷隆盛本宮跡

一、御祭神
建速素盞嗚尊
奇稲田媛命
天忍穂耳命
天穂日命
天津日子根命
活津日子根命
熊野久須毘命
多紀理媛命
市寸島比売命
田寸津比売命
一、御由緒概要
北岡神社は元祇園宮と尊称し人皇六十一代朱雀天皇の御 代承平四年当国司藤原保昌の奉請により山城国官幣大社 八坂神社の御分霊を元飽託郡湯原(今の二本木町の内)に奉祭 せられ「宝祚無窮。天下奉平。国家安全。悪魔降伏。西九守護之 宝殿」と称せられ御神徳を膽仰して治国平天下の析請に参 じ詣る者遠近上下その跡を絶えなかったのであります。
当社は御歴朝の御尊崇殊の外厚く幾度か勅額並に綸旨を 賜はりましたが一条天皇の御代社殿炎上の為綸旨及旧 古文書等が焼失しました事は慨歎に堪えません。
又肥後藩主武将等の崇敬も実に厚く国内旱魃飢饉、疫癘 等の守護のため祈願の誠を捧げられしことは枚挙に遑あ りません。
当社は明治五年県社に列せられ明治十七年鎮座九百五十 年記念事業として現在の清地に社殿を造営摂社末社共に 奉斎せられました。
明治二十四年三月久邇宮殿下山階宮殿下より神饌料を下 賜せられ同じく二十六年一月北白川宮殿下同妃殿下の御 参拝を賜り昭和六年陸軍特別大演習の砌り特に侍従御差 遣の上御参拝の光栄に浴し同じく八年鎮座壱千年式年祭 斎行にあたり久邇宮殿下より御染筆の神額を賜り親しく 御参拝を辱ふ致しましたのであります翌九年十一月十三日 更に社殿を現在の通り増築改築し本殿遷座を執行致し 昭和十八年八月鎮座壱千十年祭に当り久邇宮殿下、山階宮 殿下より神饌料の御下賜がありまして氏子民一同感激致 して居ります。
例大祭自 八月一日
至 八月五日

−境内案内−



【 北岡神社 】

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