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惣社八幡神社
そうしゃはちまんじんじゃ
福岡県京都郡みやこ町国作字惣社

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福岡県京都郡みやこ町(旧豊津町)。行橋から福岡へ向う58号線付近。
惣社という地区で58号線を南へ入った場所にある。
付近には国分寺跡などもあり、豊前国府所在地。
と、文章で書けば簡単だが、実はかなり迷った。
58号線での曲り角を間違えたようで、
車で周回しながら探す。途中、何人かの方に聞いてみたが、
隣の町では、当社の事はあまり知らないようだ。
神社入口には青い幟が立っていた。
行橋や当社の近辺の神社でも幟が立っていた。
参拝が5月3日で、祭日だからだろうか。
境内は広く、拝殿も大きい。
流造の本殿も立派な佇まいで、三階菱の神紋もあざやか。
神社入口を撮影している時、拝殿では拍手を打つ音が聞こえていた。
創祀年代は不詳。
上古の創建と伝えられているが、大友氏の兵乱により古記録等を焼失した。
かっては八太夫という八家の神職によって奉祀されており、
豊前国の総社として崇敬された大社であったという。
境内 |
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拝殿 ![]() | 境内社、百体社、貴船社 ![]() |
本殿 |
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惣社八幡神社
豊前国内の名所に祭られている神社の祭神
を一ヶ所に総合して勧請したのが、この惣社
八幡神社です。本来、国司(各国の長官)は国内の神社を 定期的に拝礼して回るのが習わしでした。し かし平安時代(八世紀〜十二世紀)の後半に なると、諸社参拝の労を省くため、国衛(律 令制下の諸国の政庁)に近い場所に惣社(ま たは総社)と呼ばれる神社を建立するように なったのです。 元来は当地の地神を祭っていたと思われますが、平安 時代に八幡神を祭るようになったものと思われます。そして この八幡社に惣社を合祀したため惣社八幡となったのでし ょう。なお、近年の数回にわたる発掘調査により この神社の北東に豊前国衛の所在したことが 確かなものとなりました。豊前国衛の所在に 関して諸説もありますが、この惣社八幡の存 在も国衛の国作説の根拠の一つとなっています。 −境内案内板より− |
【 惣社八幡神社 (福岡) 】
