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霧島岑神社
きりしまみねじんじゃ
宮崎県小林市大字細野4937
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式内社 日向國諸縣郡 霧嶋神社 |
小林市、宮崎自動車道霧島S.A.近くにある。
S.A.なので降りれないが。
参道は暗く雰囲気がある。
参道前に石の仁王像。
境内は明るくスッキリしている。
霧島六所権現の一社。
霧島六所権現とは、
霧島神宮、狭野神社、夷守神社(霧島岑神社に合祀)、
霧島岑神社、霧島東神社、東霧島神社の六社。
伝承によると、欽明天皇の御代、僧慶胤によって霧島山が開かれ
応和年間(961〜963)に、僧性空によって
瀬戸尾に一寺が建立され、瀬戸尾権現、霧島中央権現と称されたのが当社の起源。
その後、度々の噴火により、
文暦元年(1234)社地を長尾山麓(東霧島神社)に遷座。
文明十六年(1484)、津島忠昌によって再興。
霧島西社を大隅国田口村(霧島神宮)に創祀。
霧島東社を霧島岑神社の旧地の近く、祓川山上に建立した。
その後、度々、噴火の災害のため、
天文十三年(1544)、霧島東社は霧島東神社の地に遷座された。
享保十四年(1729)、東霧島神社から旧地に戻されたのが
現在の霧島岑神社であるという。
参道入口 |
境内入口に仁王像 | 暗い参道 |
門守社 | 鳥居 | 門守社 |
境内 |
巽守護神社 | 拝殿 |
脇社 | 本殿 | 脇社 |
霧島岑神社由来略記 往古、霧島岑神社は高千穂峰の中腹、瀬戸尾の高地に鎮座 され、祭神は瓊々杵尊・木花咲耶姫命・彦穂々出見尊・ 豊玉姫命・鵜葺草葺不合尊・玉依姫命の六柱の神々である。 承和四年(八三七)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預り のち従五位上を授けらる「続日本後紀」。天安二年(八五八) 従四位下に叙せらる「三代実録」。とあり、「延喜式神名帳」 には日向の国式内四座の一であると記されている。 天慶・天暦(十世紀)の頃、性空上人が霧島岑神社に参籠 の折り、山麓四方に夷守神社他四社を創建し、本社である霧 島岑神社(別名、霧島中央権現)を合せて霧島六社権現と称 した。 天永三年(一一一二)韓国岳噴火、仁安二年(一一六七) 大幡山噴火と相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に 再建された。 文暦元年(一二三四)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し 社殿は焼失、この高地に湧いていた「天の井」も涸れたので 末社の霧辺王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称 した。 その地に座すこと四百八十余年、享保元年(一七一六年) 新燃岳噴火、社殿は焼失 御神体は今坊権現に奉遷、次いで 細野村岡原に遷座されたが新瀬戸尾の地は全く荒廃したので 享保十四年(一七二九)、夷守岳中腹に社殿を再建、明治 初頭まで鎮座された。その地を今に築地と言う。 明治五年(一八七二)県社に列せられ、翌六年細野村に合 祀の世論起り夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、 改めて旧夷守神社の跡地(現在地)に霧島岑神社を奉遷して 今日に至っている。 −境内由緒書き− |
【 霧島岑神社 】