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國津意加美神社
くにつおかみじんじゃ
長崎県壱岐市郷ノ浦町本村触133

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式内社 壹岐嶋石田郡 國津意加美神社 |
郷ノ浦の市街地にある。
郷ノ浦町役場の向かいにある、盈科小学校の北隣に鎮座。
もう少し東へ行けば亀丘城跡がある。
道路脇に鳥居があり、階段を登ると境内。
境内には、やや薄桃色の社殿があり、両脇に境内社がある。
元は妙見宮と称していたが、延宝の式内社査定において
国津意加美神社に比定された。
郷ノ浦には古墳時代からの遺跡も多く、
古くから栄えた地であり、半島との交流もあったところ。
妙見宮となる以前から、祭祀の場であっても不思議ではない。
昔、九月十五日の祭りの時には、佐賀県呼子鎌田から魚が献魚され、
神前に供え、祠官以下で頂戴した。
その最中は、拝殿入口に呼子鎌田の漁夫が棒を持って警護し、
参詣人が入って来るのを阻止していたという。
後に、呼子鎌田の人と渡良浦小崎の漁夫の縁組があり、
献魚は小崎から行われるようになった。
参道階段横にある狛犬は、壱岐の名工・山内利兵衛の1862年作。
社殿両脇に境内社があり、多くの石祠も並んでいる。
左の境内社内部には小さな狐が奉納されているので稲荷社だと思うのだが
祠内の石には山神と刻まれていた。
山の神が、春になると里に下りて稲荷となるのだ。
社殿には月紋と巴紋が付いていたが、
壱岐の神社の多くには月紋が付いているので、
社紋かどうかは不明。ただし、元は妙見宮なので、その可能性はある。
狛犬阿形 ![]() | 鳥居 ![]() | 狛犬吽形 ![]() |
社殿 |
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左境内社 ![]() | 右境内社 ![]() |
左境内社内 ![]() | 本殿 ![]() | 右境内社内 ![]() |
国津意加美神社(旧称妙見宮)
当社は旧武生水郷(現・郷ノ浦町)の惣廟である。 『延喜式神名帳』には「壱岐島石田郡國津意加美神社」と記録 されており「社記」によれば、神代に素盞嗚尊韓国を巡り給ひて 御帰朝の際我が壱岐国郷ノ浦江上に着岸ましまして後茲 に宮殿を建つ是より村浦の宗廟と崇敬し奉りて妙見宮と 申すとある。 当社は古来御願元と称し旧藩主格別の崇敬神社にして国 中諸社の首班に置き、定祭には幣使式日には代拝として 亀丘城々代を参向せしめ。又松浦藩主壱岐を巡見するに当 りては親しく参向し、恭しく礼幣を奉奠せらる故に当社を 直参の社とは申すなり。昔神田神領等存し社殿の造営概 ね国守の直営に係り、奉仕の祠官跡特殊の格式及職権を附 与せられ、以て維新の際に及べり。仍而神社の設備完備し、 国内屈指の社頭となりしは寔に所以ありと謂ふべし従って 当時祭祀の荘厳盛大の状に至りては、国中類例を見ざる 所なり。「壱岐国神社誌」 延宝四年(一六七六)六月 国内延喜式登録の神社調査によ り式内小社國津意加美神社に査定され藩主松浦鎮信は木 鏡御正体と石領とを献納した。 明治九年十二月四日村社に列せられ 大正十四年三月十日 神饌幣帛料供進神社に指定された。 −境内案内− |
【 国津意加美神社 國津意加美神社 】
